SG のバックアップ(No.97)


SGとは、v02に於いてCT1225(AT3281)~AAT5453まで存在していた島である。正式名

称はフェリフ・エスジー・タラレント島。略称としてエスジーもしくはエスジーが

用いられる。

(2011年5月18日に発見され、2012年5月18日に放棄された。C/B/A/AA海域に存在してい

た。)


SGの歴史/SGの海軍/SGの国防



0.概要


エスジーはシグマ・Σ・メレトス、タウ・T・フリューによって発見された小島である


発見以前はエスジー文明とよばれる比較的先進的な文明王朝が繁栄していたが、外部か

らの侵入によって王朝は崩壊した。
発見以後シグマ・タウによって建国された共和エスジーは直ぐに分裂し、原住民らによ

って建国された北共和エスジーと移住民らによって建国された南エスジー帝国の間で内

戦が勃発した。
この戦争に勝利した南エスジー帝国は原住民らのホロコーストを敢行し、エスジー文明

の遺構を破壊しつくした。
南エスジー帝国(タウ帝国)の皇帝に即位したタウとその息子タウ2世は軍事帝国化を推

し進めるも、騎士オナーウ・U・アウイバウによって滅ぼされる。 オナーウ、カーキ、グーファ、オウグテッド・マルクシスの四皇帝が統治したエスジー

第一帝国は740Tも存続し(その後の二分統治も含めれば1012T)、エスジー史上最も長く存

続した国家である。
これら四皇帝の時代には10の対外戦争を経験した。グーファの時代、ゼブガド戦争

(BT4155~4203)直後のBT4205頃には帝国全盛期を迎えた。
この四皇帝の時代が終わると、エスジー第二帝国が勃興したが、第二帝国は169Tで滅亡

し、暗黒時代に突入する。 その後フベレフ1世による再統一によって300T以上に及んだ暗黒時代は終わりを告げ、フ

ベレフ朝エスジーが成立した。しかし、フベレフ2世の時代にフベレフ朝はヴァン人の侵

入によって滅ぼされ、エスジー島は無人島と化した。
その後、エスジーから脱出した者たちによってソップ島に後フベレフ朝が建国された。

1.発見前のエスジー


シグマ、タウによってエスジーが発見される以前、この土地には2つの文明が存在してい

た。

1-1.エスジーの黎明


エスジー島に人間は移住してきたのは、紀元前AT3000頃と考えられている。海洋民が漂

着し、住み着いたのが始まりだと考えられている。
エスジー島は比較的温暖であったが、国土は荒地と平地が大半を占めていた。そのため

に、原住民は主に海産物に頼って生活を行っていた。

1-2.フェリフ初期文明


エスジー島で一番最初に成立したのがフェリフ文明である。
紀元前AT2500頃からエスジー島南部フェリフ地域で栄え、土器と石器が登場し、海産物

を調理・貯蓄する技術が発展した。
フェリフ文明の手掛かりが残る唯一の遺跡であるメッチェ遺跡からは海産物の保存

のために建造された巨大な水冷室や塩田の遺構が発見されている。

1-3.ニ大文明


紀元前AT2000頃に北部エストラントで文明が登場した。初の文字である''エストラ文

字''は科学の発展に大きな功績をした。科学の力を用いたマルティン船とよばれる木造

の大型船を建造し、大規模漁業を一般的にした。

紀元前AT500頃に、フェリフ文明が災害と飢饉によって衰退すると、エストラ文明の影響

を強く受けたジーテ文明が勃興した。
ジーテ文明は初の宗教であるイヘスヤ教を作りだした。イヘスヤ教は教典『''イヘ

スヤ・ヴィヤ''』を基礎とし、大地の神グロウを唯一神として神権政治を行った。
原始イヘスヤ教の大神殿であるルル神殿を建設し、人々の求心力を高めたが、AT700

頃にルル神殿が大地震によって崩壊すると、ジーテ文明は急速に弱体化し、エストラ文

明に吸収された。

1-4.オイハ・ヌクアとイヘスヤ文化


ルル神殿遺跡から発見された『オイハ・ヌクア』はエストラ文明とジーテ文明の始

まりから終わりまでをエストラ文字で記述した歴史書で、ルル神殿崩壊直前まで書かれ

ていたとみられることから未完だと考えられている。
この書物によって、エストラ文明とジーテ文明の生活・文化が判明した。特に、イヘス

ヤ教についての記述が非常に豊富で、先時代の文化を知る大きな手掛かりとなっている



1-5.エスジー文明


T800頃から発展したエスジー文明ではエストラ文明の文学・芸術・学問とジーテ文

明のイヘスヤ教を中心とした生活スタイルが融合したものであった。
エスジー文明は非常に栄えた文明でメレストロ・アウス神殿をはじめとする多くの建築

物・書物・芸術品が残されていたが、タウ帝によってそれらの遺物は尽く破壊され、現

在まで残るものはほとんどない。

2.シグマ、タウによる島の発見と開発


エスジーはA海域におけるT3281(以後AT~)、C海域におけるT1225(以後CT~)、現実世界

における5月18日(以後RT~)に発見された。

2-1.13世紀の支中海世界


エスジーが発見された、CT13世紀/AT33世紀では、江洲海の多くの列強が勢力拡大にあえ

ぎ、支中海に新天地を求めて優秀な人材を引き連れて支中海の島を開拓し始めていた。
そんな中で支中海世界では元江洲海民族による同盟を組織する動きがあった。それでも

支中海で大きな勢力を守っていたのが同盟『Ω花守』であった。
『Ω花守』は自設自壊戦争(1112~1160)で支中海の脅威を取り除いた二同盟を元に

結成されたもので、支中海世界の安定に力を注ぎ、超平和の一世紀(''パクス=ハナモ

リカ'')を作りだした。

2-2.ジェースルク条約と支中海開拓


江洲海の最南端に位置するベネツアーロ連邦は江洲海において早い段階での産業革命を

達成し、工業立国として莫大な利益を挙げていた。一方でベネツアーロ連邦に隣接する

ヘレンド帝国は軍事国家であったが、産業革命が遅れていた。ベネツアーロ連邦は資源

確保と市場開拓のために支中海への進出をもくろみ、ヘレンド帝国は支中海での利権確

保の足がかりを求めていた。
こうした二国の思惑が一致し、CT1220に支中海共同開拓を約束したジェースルク条約を

締結した。

そして、第一次支中海開拓隊の指揮官にベネツアーロ科学者シグマ・Σ・メレトス

とヘレンド軍人タウ・Τ・フリューの二人が選ばれた。

2-3.島の発見


CT1225、シグマとタウの一行は支中海に浮かぶ小島を発見する。この島こそがエスジー

島であった。
シグマ・タウは原住民と接触を図り、エスジー島が未開の地であることを知ると、エス

ジー島への上陸を敢行した。

2-4.植民地化政策の失敗


シグマとタウは島発見時、原住民らを労働力としたプランテーション経営を計画したが

、原住民の数の少なさと、島の小ささからプランテーション経営を断念せざるを得なく

なった。
そこで、シグマはこの島に植民を実行して、島全体を工業化して利益を上げようと考え

た。ベネツアーロ国は既に産業革命に成功しており、植民地における工業化を迅速に進

められると考えたからである。
一方でタウは原住民を排除し、この島を軍事拠点化することで支中海進出をさらに推し

進めようと考えた。ヘレンド国は支中海貿易を独占したいという思惑があった。

こうした二人の意見の相違によって、植民地政策は上手くいかず、原住民らの結束を強

めることとなってしまった。

2-5.エスジー文明の破壊


シグマとタウはどちらの考え方にせよ、植民が必要であるという認識は共通であったの

で、手始めにベネツアーロから1300人の植民を行った。また、これらの植民を実行

するために、原住民らの生活エリアを奪って開拓を行い、原住民を森の奥へ追いやった


さらに、ベネツアーロ人はエスジー文明の建物を破壊して住居などを建築したために、

メレストロ・アウス神殿をはじめとするエスジー文明の遺産は破壊された。

2-6.国家の形成


島の発見から7Tが経過したころから、エスジー島内での国家形成の動きが出始める。
原住民はそれまで、サークルとよばれる集落を形成し、それぞれが独立していたが、シ

グマらの植民地化政策に対して結束して抵抗し、自らの権利を守ろうとした。
セネリをはじめとする過激派サークルはレバルト・ベーテス・ジュークの元でまと

められ、移住民に対するゲリラ攻撃を実行する(セネリ戦争)。
一方で、移住民に対して武力では敵わないと考えていたアベネなどの穏健派サークルは

移住民との共存を模索していく。代表者として選出されたジョン・バラウは、シグ

マに共和制国家の樹立を打診する。
島工業化のためにはまず島内を統一する必要があると感じたシグマは、この打診を受け

入れ、CT1234にアベネを首都とする共和エスジーを建国した。

タウは原住民を排除しての軍事拠点化を進めようとしたが、ヘレンド本国が隣国との間

に起こしたアリー戦争((隣国オースレギアとの戦争。この戦争に勝利したヘレンドはオ

ースレギアの1/3を編入した。))に突入し十分な支援が受けられなくなったことセネリ戦

争で劣勢に立ち、セネリ戦争を終結させるために共和エスジーを認めた。
過激派サークルもセネリ戦争で疲弊し、穏健派サークルに吸収されたことで、エスジー

島は共和エスジーの元で統一された。

2-7.ニ対政治とネステスの乱


共和制確立のためにエスジー総会が設置された。
エスジー総会は原住民と移住民が半数ずつ出席し、エスジー島の開発について話し合う

ためのもので、政治に関してはまだ整備されていなかった。
しかし、原住民の中で特に大きな影響力を持っていたアベネの長である''マルサ・オウ

バ''とエスジー移住民代表であるタウによる開発に関する意見の相違などが度々起こっ

た(二対政治)。

オウバはシグマの意見を色濃く反映した工業立国を目指したが、タウは軍事国家を目指

したために、開発は遅々として進まなかった。

アリー戦争が終結すると、CT1236にタウは島南部ネステスで反乱を起こし、タウ帝国を

建国した(ネステスの乱)。

3.国家の確立


3-1.エスジー南北戦争


共和制という形で一時はエスジー統一がなされたものの、ニ対政治によってエスジー総

会は崩壊し、CT1236には共和制である共和エスジーと帝制であるタウ帝国に分裂してし

まった。
両国間での抗争(南北戦争)は長く続くも、ヘレンドの支援を受けていたタウ帝国が、

CT1254に共和エスジーの首都アベネを陥落させ、翌年にはノートルマンの陸戦でタウ帝

国が共和エスジーを滅ぼした。

3-2.タウ帝国の成立


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%E6%97%97.jpg&refer=SG,right,wrap,around,nolink,エスジー帝国旗);
南北戦争に勝利したタウはマルサ・オウバを捕えて、見せしめのために公開処刑した。

タウ独裁政権
共和エスジー側であったシグマはベネツアーロに逃亡し、ジェースルク条約の破棄を訴

えるが、ベネツアーロ王はアリー戦争で勝利し領土を拡大したヘレンドの圧力を受けて

、タウ帝国を認めた。

これによってタウ帝国がエスジー島の唯一の国家として内外ともに認められた。

3-3.タウの諸改革


タウは軍事拠点化を推し進めるために、島の埋め立てや海軍の増強を推し進めた。(''

タウの国土改革'')

エスジー産業革命


帝国の存続と軍事力の増強を図るためには、莫大な資金が必要であった。ヘレンドから

の支援だけでは支中海全域を支配するほどの軍事力は持つことはできなかった。
タウは、島の資源を利用した工業製品の生産で外貨を獲得する必要が考え、産業革命を

進めた。
結果、エスジー産業革命によって、島周辺で産出される資源を利用した工業化を実現し

、莫大な利益を得た。

始めはヘレンドの植民地としてエスジー島を統治することを考えていたタウであったが

、改革が成功し富を得ると、ヘレンドから独立して支中海を支配するという野望を持つ

ようになった。

海軍の設置


タウは自らの野望を実現するために、CT1261に最初の国営軍港を建設し、CT1266に完成

させた。
海軍にかかる莫大な軍事費は産業革命によって得た利益で賄われた。
しかし、初期海軍の主な仕事は国土整備の物資運搬であり、軍隊として整備されるよう

になるのはCT1450頃からであった。

軍事拠点化改革


CT1280頃から、バァフイワ・ハガンジェジュ・ビオポーアそれぞれに軍港を建設し、そ

の周辺地区を埋め立てによって形成した。これらの地区は明確に区画分けされ、軍事拠

点としての防衛力を強化した。
CT1431までにジャガエル・ビチアナ・ポイタバイジャフイ・ピアウーバ・イウオーイン

にも軍港を建設し、七地区・八軍港を整備した。


3-4.エスジー統制本部


タウは各改革に着手すると同時に、中央集権を作り上げるための集権機関として''エス

ジー統制本部''を設置した。
統制本部の中に、開発局・海軍局・人民局の三局を設置し、それぞれが国土開発、海軍

、人民統制の業務を担った。人民局では住民戸籍の作成を行い、国家体制を整えていっ

た。

3-5.海軍の整備


軍事拠点化改革によって、基本的な防衛網が構築され、海軍保有の地盤が固まると、タ

ウはヘレンドからU-1戦闘機を輸入した。
タウは国産戦闘機を開発する施設を巨額の資金をかけて建設したが、技術者の不足によ

り開発は難航した。そのため、タウはヘレンドから多くの技術者を連れてきた。その結

果、CT1348にはU-8試作航空機が飛行に初成功し、CT1350には初の官製戦闘機であるU-22

戦闘機が開発された。
しかし、タウは連れてきた技術者を優遇したため、それまでいた技術者の間で大きな軋

轢が生じ、それまでいた技術者たちは海軍局を辞めて、初の民間企業ワット社を設

立した。

ワット社は当初航空機製造には関与せず、他の工業製品の製造を行っていたが、海軍か

らの要請を受けて航空機製造を始め、CT1358に対艦攻撃機WAT-10Bを開発した。

これらの航空機はCT1410頃から実戦配備されるようになったが、制海権の掌握をするに

はいささか不十分であった。そのため、タウは早急な水上戦闘艦の自力開発を指示し、

海軍局は軽駆逐艦Uroの開発を進めた。そして、ついに一番艦「コスモス」がCT1468

に竣工した。

3-6.タウ2世統治下の帝国


CT1455、タウが事故で急逝すると、タウの息子であるタウ2世が帝王となった。
タウ2世はタウとヘレンド人の妻との間で誕生した子であったが、皇帝としてはいささか

若すぎたため、業務はエスジー統制本部長であったマカルスが行っていた。
その中で、上級武士オナーウ・U・アウイバウはタウ2世に近づき、政権を乗っ取ろ

うと画策した。

3-7.オナーウの策略


まずオナーウはマカルスを失脚させるためにCT1459に国内反乱をわざと引き起こした。

(プレヴェの反乱)
この反乱でエスジー統制本部が放火され、マカルスは島外逃亡を図った。オナーウはそ

こを狙ってマカルスを捕え、さらに反乱を鎮圧させた。
これによって、マカルスは失脚し、オナーウは英雄として讃えられた。

オナーウは思惑通り、マカルスを国外追放し、さらにマカルスの役職の奪取に成功した


こうして地位を得たオナーウはタウ2世に対し、軍事力の拡大と海外侵略を進言した。
さらに、CT1468に海軍を帝国維持軍と中央軍の二つに分解し、帝国維持軍を自らの私有

軍とした。

3-8.イエヌバクィの反乱


オナーウによる帝国転覆計画が着々と進む中、CT1771に海軍局局長イエヌバクィ

よる反乱がおこる。
イエヌバクィは帝国を自分のものにしようと企むオナーウを危険視し、帝国維持軍の解

体とオナーウの追放を訴えた。
イエヌバクィは250人に及ぶ同志を引き連れて、完成したばかりの駆逐艦「コスモス」を

占拠し、オナーウ邸に向けて砲撃を行う。
この砲撃によって、オナーウ邸は全壊・全焼の被害を受けたが、「コスモス」は帝国維

持軍(500人程度)によって舵を破壊され、イエヌバクィは捕えられた。

この反乱を受けて、オナーウはもはやタウ帝国を維持するのは難しいと考え、タウ2世を

監禁し、新帝国を建国することにした。

4.エスジー第一帝国時代


オナーウはCT1472にエスジー第一帝国を建国した。
軍部を統制本部から切り離し、皇帝親衛隊と帝国海軍の二つに分離させた。

4-1.旧新革命とその影響


CT1485頃になると、帝国の総人口は100万人を超えた。オナーウはタウ帝国の再復活を予

防し、帝政を強固なものとするために皇帝親衛隊の設置を行うと共に、タウ帝国時代の

要人(旧制派)の排除を行った。
タウ2世の幽閉に対して反対の姿勢を示していた旧マカルス一派の38人に対しては最低禁

固10年の処罰を下し、元人民局局長ら12人が処刑された。

こうしたタウ2世の幽閉と成り上がりに過ぎないオナーウ政権に対しての大きな反乱が各

地で発生するも、オナーウは皇帝親衛隊の力でこれを鎮圧し、強い圧政を敷いた。

そして新制派として統制本部長にホーター・J・コニアクアが就任した。
ホーターはオナーウのかねてよりの部下として働いており、オナーウが絶対の信用を寄

せる人物であった。

4-2.ヴィシュルの乱


旧新革命から間もないCT1488に、反帝国主義者による反乱が起こる。
タウ帝国・オナーウ王政どちらにも反対し、共和制成立を目指す彼らはシグマ・Σ・メ

レトスの息子のヴィシュル・Σ・メレトスをベネツアーロから招き、起こした反乱

である。
彼らはこの反乱でオナーウの失脚を狙い、ヴィシュルを大統領とした共和制国家の成立

を目指した。まず、オナーウの悪行や企みを書き記したビラ「真実の鏡」30000枚を帝国

内にまき散らして、帝国を一時混乱に陥しいれた。
さらにベネツアーロから密輸入した武器で武装した反乱軍はフォバから首都エストラン

トに向けて進軍した。

皇帝親衛隊と帝国海軍が鎮圧に向かい、ビラを速やかに回収し、反乱軍とセノキポーリ

で衝突した。
セノキポーリの戦いで反乱軍は親衛隊を打ち破るも、ピアウーパで帝国海軍に敗北し、

鎮圧された。

ヴィシュルはビチアナ湾脱出に失敗し、処刑された。これによって、国内の反乱分子は

ほとんどが駆逐され、第一帝国は安定した。

4-3.ヴィシュール文化


タウ帝国からエスジー第一帝国への変換期にはヴィシュール文化が興隆した。
イエヌバクィの反乱、旧新革命、ヴィシュルの乱の3つの大きな出来事はヴィシュール文

化に大きな影響を与えている。
ヴィシュール文化は、これらの戦争に対する反発が強く浮き出たものが多く、書物では

『崩壊神話』(ケラプス)や、『真実の鏡』(マケルドス)が有名である。
また、美術では『革命』(アルケラウド)、音楽では『コスモスの反戦歌』(ヴァート

ラッハ)などがある。

4-4.ペテン戦争


CT1540、エスジー第一帝国の圧政の中、支中海に浮かぶ小国ヘデクパウダーが宣戦布告

を行ってきた。ヘデクパウダーは支中海での発展を目指してエスジー島の攻略を考えて

いた。第一帝国にとっては初の対外戦争となった。オナーウは帝国海軍総指令''ジャカ

リ・β・カルベ''に徹底抗戦を命令した。圧倒的な軍事力の差があった中でジャガリは

奮闘し、独立を守った。

参考:ペテン戦争(CT1547~1629)

4-5.ヴィシュールの大成と衰退


強大な三国との戦争で人口が半減したものの、戦争による技術力の底上げは、第一帝国

の工業力と軍事力を強くした。
オナーウは戦時中に建造された駆逐艦「カトレア」「ダリア」「フォルト」「デフォル

ト」の四隻に加えて、潜水艦二隻と戦艦二隻の建造を計画した。
そんな中でヴィシュール文化はさらに進化し、アルゲメロス『英雄伝』*1

によってヴィシュール文化は大成した。
その後も優秀な作品が生まれ、特にドンツェピキー『闇と雲』*2はヴィシ

ュール文化最高傑作の小説とされている。
しかし、ドンツェピキー以後、ヴィシュール文化は衰退の一途をたどっていく。

4-6.新皇帝カーキの統治


オナーウの圧政は国を発展させることに成功したが、生活レベルの上昇から、不満を持

つものが多く現れてきた。それはエスジー統制本部内でも例外ではなかった。エスジー

統制本部局員アリス・バトソンは、オナーウに対して言論で反発を試みた。それま

では暴力でしか訴えてこなかった反オナーウ勢力とは違い、言論で堂々と戦おうとした

のであった。
しかし、オナーウはバトソンを捕縛して公開処刑とし、それと同時に皇帝を自らの息子

に譲って帝国の存続と世襲をアピールした。

CT1677、オナーウの息子カーキ・L・ウソメントは自ら邪王と名乗り、皇帝位を引

き継いだ。実権は依然としてオナーウやホーターらが保持していたが、カーキは戦争に

よる帝国の拡大を目指した。

4-7.アルホグットの内政改革


ホーターに代わりエスジー統制本部統括長となったアルホグット・ゲットンは、エ

スジー統制本部を廃止し、新たにエスジー帝国政府を作り、内政改革に着手した。アル

ホグットは大帝国への成長を見据えて、統制本部を帝国政府と皇帝局にわけ、政府にあ

る程度の独立性を持たせた。

4-8.17世紀の支中海世界


CT13世紀以降、江洲海からの技術的に先行する移民族たちが支中海で大きな権力を握る

ようになり、その地盤は強固なものとなっていた。彼らは同盟を結成して、互いの結束

力を強めた。同盟『£箱研』はその代表格として、支中海を取り巻く同盟の中でも最大

規模であった。『£箱研』を中心として、『ЭMoon Drop』・『†EDF連合』・『Д僕た

ち高専生!』が海域を掌握し、単独の軍事行動を著しく難しくさせる状況を築きあげた



4-9.Union級潜水艦の建造


CT1800、海軍局はオナーウの指示通り、Union級潜水艦2隻の建造を開始した。維持費が

低めながら、強力な対艦装備を持つことが出来る潜水艦は近海の制海権掌握の要として

重要視されており、「アクエリアス」「オーツー」の二隻が建造された。

4-10.アスジー戦争


「アクエリアス」「オーツー」が竣工し、さらに戦闘機U-AXLや攻撃機POGI-23.4の配備

が完了したのを見計らい、CT1848にカーキはアスキーアートに侵攻を開始した。
強力な航空機でアスキーアートを爆撃して進撃を続けたが、ノースポイントによる介入

によって戦局は悪化した。しかし、紅の大移動*3によって中断された。

参考:アスジー戦争(CT1848~1860)

4-11.紅の大移動


紅の大移動によって、琵威大海*4へ移動した。

5.琵威大海の波乱


琵威大海を支配下に入れたい第一帝国は早い段階から軍事力を使い、琵威大海での覇権

を争った。数多の戦争に勝利を重ね、第一帝国の全盛時代が築かれた。

5-1.生存戦略同盟


BT*53917に帝国は生存戦略同盟を設立した

。この同盟は琵威大海の支配権拡大を狙ったものであった。屋久島、硫黄島が参加し、

琵威大海で二番目*6の同盟となった。ノースポイントが結

成した『青天の霹靂』が首位勢力であったが、スタンスは真逆であった。そののち、

BT3947にはイージス島も参加した。

5-2.エスジー漁船団と貿易公社


CT1815(BT3871)に設立されたエスジー貿易公社とCT1834(BT3890)に設立されたエスジー

漁船団は琵威大海での積極的な海外交易を行い、その規模を大きく拡大させた。
工業化で他の島よりも優位に立っていたために、輸出産業は大きく発展し、経済状況は

非常に良くなったが、一方では各所での摩擦を生むことになった。(''エスジー貿易摩擦

'')

5-3.マロン危機


BT3952、生存戦略同盟参加国である硫黄島に対して、当時ヘデクパウダーとの戦争に勝

利し、国力を高めていたマロンが宣戦布告を行った。
すぐさま生存戦略同盟緊急会議がエストラントで開催され、BT3954に参加国他3島がマロ

ンへ宣戦布告を行った。(エストラント会議
その後、マロンが同盟『Tief Blau』に加盟した事で同盟戦争への発展が危惧されたが、

まだその時期に達していないと判断して平和的解決を目指した。
結果、BT3969に硫黄島、BT3970にイージス島とエスジー第一帝国が、BT3971に屋久島が

マロンと停戦し、危機は去った。

5-4.ソニックによる海軍再編


帝国はペテン戦争以降、国力に見合った軍備を行うべしとして軍備拡大を推し進めてい

たが、琵威大海での急速な貿易拡大が大量の外貨を流入させ、インフレーションを引き

起こした事で、維持費が拡大した。
金本位制・固定税制を取っていた第一帝国にとっては維持費の拡大は財政を圧迫し、維

持費のみで国家予算の130%になってしまう事態に陥った。これに対処すべく、帝国海軍

維持改善部が設置され、部長にK・ソニックが任命された。

ソニックは十五の軍港のうち四つを民間に払い下げし、さらに駆逐艦『フォルト』と潜

水艦『オーツー』を破棄し、さらに誘致活動・採掘基地建設などによって収入を拡大さ

せることでこれを達成しようとした。
けれども、渇翔島からの攻撃によって、軍縮は実行できずに終わった。

5-5.不在の乱


ソニックによる海軍再編が計画されていたころ、カーキは琵威大海の情勢を把握する外

遊に出発したが、その直後のBT3977に渇翔島から宣戦布告を受けた。
貿易摩擦問題を発端として勃発した戦争だったが、直後に同色同盟の乱(BT4011~

4175)が勃発し、休戦状態になった。

参考:不在の乱(BT3983~4180)

5-6.第3皇帝グーファの戴冠


BT4006、不在の乱(BT3983~4180)が続くなか、カーキは自分の子グーファに皇帝の座を

譲る。大規模な海外出兵のために国内反乱に対して対抗する武力を国内に残しておらず

、圧政に対して強い不満を抱いている国民の反乱を危惧し、グーファを皇帝位に就かせ

て圧政を解除することで国民を懐柔しようとした。

5-7.41世紀の琵威大海


BT4001から始まる41世紀の琵威大海は三つの大同盟『青天の霹靂』『Tief Blau』『生存

戦略同盟』の思惑が交錯していた。
首位同盟『青天の霹靂』・二位同盟『Tief Blau』は意味深なメッセージを海域全体へ発

信し、三位同盟『生存戦略同盟』は各地での衝突が見られた。
また、この三同盟の間でもしばしば衝突が見られ、情勢は極めて不安定であった。

5-8.同色同盟の乱


帝国が不在の乱(BT3983~4180)で渇翔島との戦争を行っていた際、同盟『Tief Blau

』のeden*およびマロンが渇翔島へ宣戦布告を行う。この突然の宣戦布告にグーファは激

怒し、「愚の介入だ」と、一時は同盟戦争もやむ無しとの考えを示したが、戦場は

渇翔島に留まり、二同盟の勢力争いが展開されて同盟『Tief Blau』が勝利を収めた。

参考:同色同盟の乱(BT4011~4175)

5-9.第2次ペテン戦争


不在の乱(BT3983~4180)が休戦状態になると、BT4023に復讐戦としてヘデクパウダ

ーに宣戦布告を行う。
序盤は帝国の圧倒的優位に進んでいたが、途中からは同盟『青天の霹靂』との交戦が発

生した。同色同盟の乱(BT4011~4175)に続いて、再び同盟戦争が危惧された。特に

、同盟『青天の霹靂』盟主国のノースポイントはラウンドハンマー作戦((ノースポイン

トによるSG第一帝国の崩壊を目論んだ作戦))を発表し、帝国・同盟『生存戦略同盟』に

対して明確な対立姿勢を示した。

参考:第2次ペテン戦争(BT4029~4200)

5-10.トーマス軍拡と国内情勢


第2次ペテン戦争(BT4029~4200)によって大量の移民を獲得した帝国ではインフレー

ションが収まり、軍拡への余裕が出てきた。軽空母「スカイフォール」艦長兼海軍作戦

部長のトーマス・G・マロスは新型駆逐艦二隻、軽空母二隻、巨大戦艦一隻の建造

による軍拡を計画した。

度重なる戦争による多額の軍事費に加え、トーマスによる軍拡計画は財政を圧迫した。

さらに、怪獣の連続上陸や海底資源の枯渇が相次いだことで国内経済は悪化した。
こうしたなかで、グーファは戦争での軍需を用いて経済の復調を目指すことにした。

5-11.ゼブガド戦争


第2次ペテン戦争(BT4029~4200)がヘデクパウダー壊滅によって一旦の終結を迎える

と、巨大戦艦二隻を喪失し戦力が大幅に落ち込んでいた第七艦隊駐屯地に宣戦布告を行

った。
緒戦から強気に出た帝国はこの戦争に勝利し、同盟『Tief Blau』との対立はますます深

まった。

参考:ゼブガド戦争(BT4155~4203)

5-12.対外戦略での失敗


グーファは海域での軍事・経済的優勢状況を守るべく、ゼブガド戦争(BT4155~

4203)を行い、これを成功のうちに治めるも、失敗点も多く見られた。
また、一方で対外諸国による圧力も次第と高まり始め、帝国の行った妨害工作は尽く失

敗に終わった。こうした失策は敵対勢力の拡大を許すこととなった。

5-13.貴族の台頭


帝国は国内財政の悪化と戦争の激化により増大した軍事費を国庫から賄うことが出来な

かった。工業で莫大な利益を保有していた貴族は多額の資金を国に貸し、賠償金でのハ

イリターンを見込んでいた。しかし賠償金は借金を賄うに及ばず、貴族は返済を延期す

るかわりに参政権を要求した。
特に三大貴族シン家ハエアー家ポウグランド家は貴族院の設立を求め

た(貴族政論争)。結果的にはそれは叶わなかったものの、政府機関、皇帝局などの

重役に貴族が着任するようになった。
貴族は賠償金を取れず、対外戦略でも失策したグーファを評価せず、『皇帝降ろし』を

画策した。

5-14.グーファ失脚と武士貴族


貴族があらゆる政治要職を握るようになると、グーファは皇帝として独裁政治を行いに

くくなっていった。こうした状況を危惧し、BT4191には貴族の武力的排除を試みるも

皇帝貴族戦争)、海軍・皇帝親衛隊すらも貴族に権力を握られていたために失敗

した。すぐさまグーファは皇帝位を降ろされ、甥にあたるオウグテッド・マルクシスが

皇帝位を引き継いだ。

貴族出身の父を持つオウグテッドは貴族のいいなりであった。それゆえ、貴族の要求は

ますます強くなり、ついには武装するようにもなった。彼らは武士貴族として絶対

的な力を持つようになった。

6.輝けるエスジー大帝国


BT4200、帝国は人口300万を突破し、海域首位に復活した。生存戦略同盟も海域2位

*7となり、琵威大海での存在感が増

大した。一方で活発に活動を行う軍事同盟は琵威大海の諸外国からは邪魔な存在となっ

ていた。

6-1.帝国の栄光


帝国はゼブガド戦争(BT4155~4203)で得た大量の移民のおかげで、海域首位の人口

を保持するようになった。国内の農工場比率問題や軍備不足問題、同盟内問題などの多

くの問題が武士貴族ら、特にシン家によって解決されていった。こうした立て直しが図

られていった一方で、私利私欲を肥やす者たちも出現することとなった。

6-2.アルペル・ゲンザー


ゼブガド戦争(BT4155~4203)に勝利し、国家繁栄が国民にも実感できるようになっ

てきた頃、国内では経済状況の回復など、見通しは明るくなっていた。そうした中で、

ヴィシュール文化の衰退などにとって代わって中心文化として芽生えたのが、''アルペ

ル・ゲンザー''である。
アルペル・ゲンザーは帝国主義の確立に伴い、ヴィシュール文化よりも帝国主義に対し

て前向きな姿勢を示した文化であった。貿易によって入ってきた様々な食べ物や衣服、

生活用品などは安く手に入るようになり、流行となったほか、『アルオエル』(ケジャ

ムラ)・『不在の乱史』(フーリュー)などの文学作品が生まれた。こうした海外から

の影響を大きく受けたアルペル・ゲンザーは帝国の繁栄とともにさらに成長を遂げた。

6-3.突風紛争


ゼブガド戦争(BT4155~4203)終結直後、首位同盟『Й疾風』を牽制するため、axzz

に対して宣戦布告を行った。当初圧倒的な戦力差で攻め込もうと画策するも、axzzによ

る破壊工作の前に敗北した。

参考:突風紛争(BT4209~4213)

6-4.王冠聖戦


突風紛争(BT4209~4213)終了直後、海域首位の座((当時は£火星に代わって折檻じ

ゃ!が首位で、SGは2位))を奪還すべく、軍艦島に対して宣戦布告を行う。しかし、軍艦

島は生存戦略包囲網連合を形成し、海域全体を巻き込んだ大戦争に発展した。
生存戦略同盟連合は三倍の敵を相手にしながらも善戦し、BT4264には勝利宣言を発表し

た。~
参考:王冠聖戦(BT4223~4264)

6-5.シン・グループの帝国買収


王冠聖戦(BT4223~4264)において、多大な被害を受けた帝国は対外諸国及び国内で

総額17兆円の借金をしていた。
それまでの借金12兆円と合わせて、29兆円に膨らんだ国債を帝国は返済不可能となり、

帝国は一時債務不履行の危機に陥った。
そんな状態の帝国に対して、Shingroup.incが帝国の国土の3分の1を買い取り、そこ

にShingrop.inc開発区を建設する事を提案した。

オウグテッドはこの提案に対してかなり悩んだと言われているが、最終的にこれを受諾


国土の3分の1をShinroup.incに譲渡し、その代わりに26兆円を受け取った。
これによって国債額は3兆円にまで落ち、帝国が崩壊する事は免れた。

6-6.シン・グループ開発区


Shingroup.incによる帝国買収によって、新たに建設されたのが''シン・グループ開発区

(エスジー開発区'')である。
エスジー開発区建設に伴い、大規模な国土改変が行われる事が発表された。

7.英平洋へと


木枯らしの大移動によって帝国は英平洋へと移動した。

7-1.第8地区の建設


T4280頃、エスジー開発区、即ち第8地区と呼ばれるエリアが建設された。
第5地区と第6地区の狭間に建設された第8地区はSingroup.inc管轄となった。
また、第7地区の再開発や、防衛網の再構築も進められ、帝国は大規模な工事期間へと突

入していた。

7-2.新生存戦略宣言


第8地区および沿岸改造工事がほぼ完了したことをうけ、オウグテッドは『''新生存戦略

宣言''』を発表。
この宣言ではこれより予定されている16の復讐戦争を開始するとともに、英平洋での軍

事活動を強めていくことを根幹としたものであった。

琵威大海で発表した『生存戦略宣言』が王冠聖戦(BT4223~4264)につながった

事は明白で、政府は新宣言発表を渋っていたが、皇帝の命令によって発表されることと

なった。

7-3.峻の谷戦争


新生存戦略宣言に従う形で、T4342に南鳥島に布告し、第一復讐戦が開始された。
南鳥島は帝国政府の作成している外交ブラックリスト(TBL)に於いてA級(集団暴行、便乗

、無差別殺人、弱小罪、威借罪)に設定されていた。
詳細は峻の谷戦争(AT4342~4431)に記載されている。

7-4.”戦闘地域”進出


帝国は峻の谷戦争(AT4342~4431)の傍ら、”戦闘地域”と呼ばれる多くの島が拠点

を作成しているエリアに進出することを決定した。

帝国は2つある戦闘地域のうち、まず第1戦闘地域に進出することとなり、そのために工

作艇7隻の建造案と進出作戦案を固めた。

これら戦闘地域に関するエスジー記録はキューズ作戦(AT4375~)に記載されている



7-5.サーム教の成長


帝国は対外進出を拡張させていく一方で、国内での第8地区建設など、いくつかの大事業

を抱えていたが、発展していく中でも依然として国民には圧迫を強いていた。
そんな状況でサーム教という新興宗教が新世界の発見を説き、信者を増やしていた。
教祖はウイローアと称す男であるが、本名は明らかではない。

7-6.共有主義闘争


T4244、人類統合組織ソビエトと呼ばれる"共有主義"を取る国家がエスジーに対して主義

の押し付けを行い、戦争に発展する。
この戦争では敵の戦艦に苦戦し、帝国は最大の危機を迎えることとなった。
詳細は共有主義闘争(AT4429~4544)に記載されている。

7-7.英平洋45世紀


45世紀を迎えた英平洋ではOperation.R.G.Dが依然として続き、海域の中で大きな勢

力を作りつつあったのが同盟『£WARWOLF』『♪さちぃ一課』『Σミスリル 西太平洋戦

隊』の古参国家グループで、このグループは強力な協力関係を作っており、各国家同士

のつながりは極めて密接なものであった。それに対抗した『〆Royal Garden』

『Agreement』は壊滅し、『£WARWOLF』勢力は海域の中での立場を確固たるものとした


その一方で、比較的新しい同盟『★シ―ライオンズクラブ』と『ШInvincible Armada』

は強力な島を確保し、特に軍事同盟である『ШInvincible Armada』は脅威なものとなっ

ていた。

その中で、帝国とイージス島が参加していた『Θ生存戦略同盟』はその力を伸ばす事を

出来ず、海域内での存在感は薄れていく一方であった。

7-8.皇帝の傀儡化


帝国は財政的に共有主義闘争(AT4429~4544)にて武士貴族から4兆、また対外的にも

5兆規模の負債を抱え込むことになってしまった。
第8地区売却をして負債が一時的に3兆円程度まで縮小したものの、わずか200ターンで負

債は12兆円にまで増加していた。

そんな中で武士貴族はますます力を伸ばしていった。皇帝オウグテッドは武士貴族によ

って選ばれた皇帝(選出皇帝)であったがために、
武士貴族はオウグテッドに対して無茶な要求を繰り返していた。オウグテッドは既に財

政を握られているために強く反発することが出来ず、段々と要求を飲むことになってし

まった。
オウグテッドが承認した要求の主なものが以下の5つであった。

武士貴族院の開設<>政府出納省長官は武士貴族院によって選出する<>海軍皇帝親衛隊の

廃止<>武士貴族院に皇帝に対する拒否権を持たせる<>エスジー貿易公社の解体

これらがT4470に承認され、帝国はもはや、帝政とは言えない状態になってしまった。

7-9.帝国破産


帝国は、共有主義闘争(AT4429~4544)によって負債が急激に拡大し、停戦直後には

負債27兆円を抱え込んでいた。
到底払い切れないと判断した皇帝オウグテッドは破産声明を発表したのち逃亡を図った


多くの負債を持っていた武士貴族院は残りの全負債を買い取って、帝国の全財産を手中

に収めた。

7-10.ブレーン革命


武士貴族院は帝国警団・皇帝警団を動かし全国土を一斉捜索し、オウグテッドを捕縛。
また、オウグテッドに関わる皇族15名も同様に捕縛し、投獄した。

武士貴族院はオウグテッドを死刑、妻子は永久投獄、ほか皇族は全財産を没収し、身分

を剥奪した。
これによって行われた一連の改革はブレーン革命と呼ばれる。

7-11.クジャプレ抗争


武士貴族院は武士貴族院での決定によって全てが決められる新たな体制の確立を目指し

た。
しかし、武士貴族院の中で意思を統合することは難しかった。
三大貴族の一角ハウアー家のトップであるレフダ・クラ・ハウアー伯爵が暗殺され

*8と、それに続く形でポウグランド家のトップである''ルメプエ・ポ

ウグランド伯爵''の暗殺未遂事件が起こった。
これらが武士貴族院内部の不信を強め、武士貴族院はあえなく崩壊した。
そしてクジャメ家とプレグランド家の間で本格的な抗争*9が起こると

、武士貴族同士での戦いが過激化し、内紛が至る所で勃発した。

7-12.シン家によるエスジー再統合


クジャプレ抗争が過激化し、国内が混乱していたころ、三大貴族の最大勢力であるシン

家のシン・シアート伯爵は帝国の軍事権を利用して、他の武士貴族の殲滅を開始し

た。
少なからずの犠牲を払いながらもシン家によって武士貴族の抗争は沈静化され、シン家

によってエスジー再統合が図られた。

8.第二帝国時代

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T4540、シアートはエスジー第二帝国を建国。

8-1.シン・アブラジの炎


シアートは建国後、混乱が沈静し安定した頃に養子シン・アブラジに皇帝の座を譲渡す

る。
アブラジはシアートの政策を引き継ぐとともに、"蠍の炎政策"と呼ばれる強引な改造政

策を実施する。
この政策の反発は大きかったが、この政策によって帝国は体制を一新し、評価は高い。

8-2.47世紀の英平洋


47世紀を迎え、帝国も共有主義闘争(AT4429~4544)からの復興を遂げつつあったこ

ろ、英平洋に於いてはOperation.R.G.Dが事実上の終結を迎えた。
寒風の小移動*10によってOperation.R.G.Dの敗戦側同盟『Agreement((

ЯCelestia、∽Tief Blau))』が消滅し、その後『Ж流星群』、『〆Royal Garden』も消

滅した。
45世紀には14あった同盟はたった2世紀で10にまで淘汰された。
大日本帝国海軍連合艦隊が加わった『Θ生存戦略同盟』は敗戦や本土改修などでその勢

力を落とし、10同盟中最下位に落ち込んでいた。

また、英平洋におけるクリスタル蒐集の動きが強まり、多くのクリスタルが柊・帝政連

邦ポツダム・太陽の島に集中し、
神聖トロイ帝国・無限島に残るクリスタルもそれらの勢力が獲得しようとしており、ク

リスタルをめぐる大戦の日が近いのではないかと危惧されつつある。

8-3.サジタリー戦役


帝国は虚空廟に対して宣戦を布告し、第2の復讐戦を開始した。
詳細はサジタリー戦役(AT4689~4836)に記載されている。

8-4.チェルラウラの闇


T4708、第1地区チェルラウラ市において、政変が起こった。
ラメエク・S・ゴレルカらが民衆を扇動し、貴族による支配からの脱却を唱えた。
帝国の建国者であるタウの記念碑"大タウ帝像"を破壊し、さらに新築されたばかりの教

育法律省庁舎"ジェイン・タワー"を爆破するなど、大規模なテロを展開した。

テロの一報を知ったアブラジは帝国警団・皇帝警団に対してテロの沈静化を命令するが

サジタリー戦役(AT4689~)によって苦戦を強いられていたエスジー第2帝国海軍に

精鋭の援軍を派遣していたため、帝国警団・皇帝警団はテロを鎮静する事が出来なかっ

た。

T4709、アブラジのいる第1地区ハギア市・皇居は武装した民衆によって完全に包囲され

た。
ラメエクによって1発目の手榴弾が投げ込まれると、それに続く形で大量の手榴弾が皇居

内に投げ入れられた。
これによって皇居は全焼した。アブラジは皇居地下に隠れていたが、皇居内に押し入っ

た民衆によって発見され、捕縛された。

アブラジは斬首処刑され、多くの省庁舎・国営施設が破壊され、一瞬にして帝国は機能

不全に陥った。
T4710、ラメエクによる暫定政府が樹立されるも、ラメエクがT4711に暗殺され、再び無

政府状態へと戻った。

これ以降、エスジーは国家元首不在のまま、犯罪が横行する暗黒時代(''チェルラウラの

闇'')に突入することになった。

歴史書『フ書』は政変時までで記載が止まっているため、チェルラウラの闇の間のエス

ジーについては不明瞭なままである。


9.フベレフ朝エスジー


T5013、無未不非教団の協力を受けて、ジャンジ・E・フベレフによってエスジーは

再統一された。

9-1.ガイラの夜明け


T5012、第1地区ガイラにある無未不非教団本部『カルティアン』において、第7回ジ

ューラ・フベレフ会議が行われた。
この会議には無未不非教団ほかチェルラウラ六大勢力がジャンジ・E・フベレフ

によるエスジー再統一を認めた。

T5013、フベレフは旧ハギア市内に於いて政権樹立宣言を行い、フベレフ朝エスジーが樹

立。(ガイラの夜明け)
第1地区壊滅のため、主要施設を第2地区に移設することを発表した。また、反攻勢力は

その日のうちに武力で鎮圧された。
第2地区ベハタランスはエシンバルと名前を改めて、フベレフ朝エスジーの新たな首都と

なった。

9-2.マーマーヘーベー海戦


T5054、万を期してフベレフ朝はSalamisに対して宣戦を布告。
この戦争は帝国の発展を掛けた大きな戦いで、莫大な資金を投入して行われた。
詳細はマーマーヘーベー海戦(AAT5060~5096)に記載されている。

9-3.死の聖戦


T5093、『死亡戦略同盟』を結成したフベレフ朝は"死の聖戦"の開始を宣言する。
T5094、ノースポイント連邦に宣戦布告を行い、それを開始した。
詳細は死の聖戦(AAT5100~)に記載されている。

9-4.国土完成


T5176、建設中だったイタビチ湾東第2防衛センターが竣工。
これによってエスジー沿岸の全軍事施設が完成し、約900ターンに及んだ国土改造計画が

完了した。

その頃のフベレフ朝はマーマーヘーベー海戦(AAT5060~5096)、死の聖戦

(AAT5100~)のオペレーション・カスミガセキの勝利によって、国力回復の兆しが見え始

めていた。

9-5.フベレフ2世政権の誕生


T5180、フベレフはフベレフの直系長男フベレフ2世に政権を譲った。
フベレフ2世政権下では連戦によって混乱した経済の安定が図られ、平和な日々が長く続

いた。

9-6.フベレフ絵画


フベレフ2世政権下では100T以上の平穏な時期があったために国民は富裕化し、文化が発

展した。
特にフベレフ2世の行った文化保護策は精巧なフベレフ絵画を生みだした。
フベレフ絵画は近代的な遠近法を巧みに用いて、色を多彩に使ったものである。

9-7.ヴァン島との戦闘


T5330、フベレフ朝はヴァン島から宣戦布告を受ける。
T5336、開戦と共にヴァン島は巨大戦艦や機動艦隊を投入。フベレフ朝はこの対応に遅れ

、被害を出した。

そして継戦が難しいと判断したフベレフ2世は一時離脱を行う*11

9-8.滅亡戦記(最後の戦線)


T5380、復帰したフベレフ朝は、ヴァン島に対して全力での抗戦を行う事を発表。
しかしフベレフ朝は人口400万人を超えるヴァン島に対して((当時のフベレフ朝の人口は

250万程度))攻撃する策を建てられず、ヴァン島からの攻撃を受ける。

しばらくのエスジー近海での海戦によってエスジー海軍は崩壊し、防衛網も壊滅的被害

を受けることとなった。

そしてT5430頃からヴァン島の爆撃機がエスジーに飛来し、そしてT5435頃の大空襲によ

って18万人以上が死亡し、国土はほぼ全面的に焦土化した。
首都であるエシンバル、政府省庁の他、民間企業も多大な被害を受け、ボウキング航空

機開発・トマホーク自動車などは本社ビルが消失、廃業に追い込まれた。
ついにT5439、フベレフ朝はヴァン島に降伏。生き残った国民はわずか15万人と、戦前の

わずか6%のみで、94%の国民が死亡した。
これによってフベレフ朝はもはや国を維持することもままならずに、フベレフ2世や海軍

・政府幹部は暴徒化した民衆によって惨殺された。
フベレフ2世の死亡によって、フベレフ朝は消滅し、エスジーから脱出したフベレフ2世

の弟のチェリラ1世はソップ島で後フベレフ朝を建国した。


10.滅亡


フベレフ朝滅亡後、エスジー外に移民する人々が急増し、そしてエスジー内に残る者達

は数少なく、内乱によって島は荒廃した。
そしてT5453、国際先進国派遣団はエスジーを派遣リストから抹消し、エスジーを『放棄

島』扱いし、これ以降の調査を行う事は無かった。
2172Tに及ぶエスジーの最期はあまりにも悲惨なものであった。




ここにエスジーの歴史は完結を迎えた。











  • ただの島開発をよくここまでお話にできるな...www -- ? &new{2011-05-24 (火)

06:03:58};

  • 国旗がなんかこわいお... -- ? 2011-08-11 (木) 18:35:59
  • 紅の大移動wwいいセンスですな -- 2011-08-24 (水) 20:17:32
  • せいぞーん、せんりゃくー!! -- 2011-09-02 (金) 00:30:47
  • なんか酷いぞ -- 2011-11-13 (日) 10:42:56
  • その外交リスト、一度見せてもらいたいな -- 2011-11-13 (日) 13:31:41
  • そういえば、エスジーにはエースパイロットっているのか? -- 百里? &new{2011
  • 11-26 (土) 08:50:14};
  • おまえ今日もメシウマなの? -- 大平和 2012-01-08 (日) 23:05:14
  • おかえりなさい。また歴史が紡がれるのを楽しみにしています。 -- 百科ファン?

2012-03-02 (金) 20:34:31

  • 万感の思いです。 -- 2012-05-16 (水) 20:07:41
  • ちょうど1年、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。 -- [[百科ファ

ン]] 2012-05-16 (水) 20:09:15

  • 一年記念パピコ -- ? 2012-05-16 (水) 21:34:09
  • おつ 復活を望む -- ? 2012-05-18 (金) 19:33:39
  • お疲れさまです。また復帰されるときを楽しみにしています。 -- ? &new{2012
  • 05-18 (金) 22:32:14};
  • 盟主殿、お疲れ様です。また会える時を心待ちにしています -- 食い倒れ? &new

{2012-05-18 (金) 23:11:38};

  • 本当にお疲れ様でした。またいつか逢いましょう、復帰されるのを待ってます。 --

栗林? 2012-05-18 (金) 23:23:10



今日2
昨日0
総計13141



*1 CT1650初版
*2 CT1663初版
*3 第七回移籍
*4 B海域
*5 B海域のターン、A海域のターンと同一
*6 当時同盟は4つのみであった
*7 10同盟中。1位は『疾風』、3位は『青天の霹靂』
*8 ハウアー怪事
*9 クジャプレ抗争
*10 第8.6回移籍
*11 管理人預かり