SG のプレビュー

警告: あなたはこのページの古い版を編集しています。もしこの文章を保存すると、この版以降に追加された全ての変更が無効になってしまいます。


以下のプレビューを確認して、よければページ下部のボタンで更新してください。

SGとは、v02に於いてCT1225(AT3281)~AAT5453まで存在していた島である。正式名称はフェリフ・エスジー・タラレント島。略称としてエスジーもしくはSGが用いられる。

(2011年5月18日に発見され、2012年5月18日に放棄された。C/B/A/AA海域に存在していた。)


SGの歴史/SGの海軍/SGの国防



0.概要


エスジーはシグマ・Σ・メレトス、タウ・T・フリューによって発見された小島である。
発見以前はエスジー文明とよばれる比較的先進的な文明王朝が繁栄していたが、外部からの侵入によって王朝は崩壊した。
発見以後シグマ・タウによって建国された共和エスジーは直ぐに分裂し、原住民らによって建国された北共和エスジーと移住民らによって建国された南エスジー帝国の間で内戦が勃発した。
この戦争に勝利した南エスジー帝国は原住民らのホロコーストを敢行し、エスジー文明の遺構を破壊しつくした。
南エスジー帝国(古エスジー帝国)の皇帝に即位したタウとその息子タウ2世は軍事帝国化を推し進めるも、騎士オナーウ・U・アウイバウによって滅ぼされる。 オナーウ、カーキ、グーファ、オウグテッド・マルクシスの四皇帝が統治したエスジー第一帝国は740Tも存続し(その後の二分統治も含めれば1012T)、エスジー史上最も長く存続した国家である。
これら四皇帝の時代には10の対外戦争を経験した。グーファの時代、ゼブガド戦争(BT4155~4203)直後のBT4205頃には帝国全盛期を迎えた。
この四皇帝の時代が終わると、エスジー第二帝国が勃興したが、第二帝国は169Tで滅亡し、暗黒時代に突入する。 その後フベレフ1世による再統一によって300T以上に及んだ暗黒時代は終わりを告げ、フベレフ朝エスジーが成立した。しかし、フベレフ2世の時代にフベレフ朝はヴァン人の侵入によって滅ぼされ、エスジー島は無人島と化した。
その後、エスジーから脱出した者たちによってソップ島に後フベレフ朝が建国された。

1.発見前のエスジー


シグマ、タウによってエスジーが発見される以前、この土地には2つの文明が存在していた。

1-1.エスジーの黎明


エスジー島に人間は移住してきたのは、紀元前T3000頃と考えられている。海洋民が漂着し、住み着いたのが始まりだと考えられている。
エスジー島は比較的温暖であったが、国土は荒地と平地が大半を占めていた。そのために、原住民(インタウン)は主に海産物に頼って生活を行っていた。

1-2.フェリフ初期文明


エスジー島で一番最初に成立したのがフェリフ文明である。
紀元前T2500頃からエスジー島南部で栄え、土器と石器が登場し、海産物を調理・貯蓄する技術が発展した。
フェリフ文明唯一の遺跡であるメッチェ遺跡からは海産物の保存のために建造された巨大な水冷室や塩田の遺構が発見されている。

1-3.エストラ文明


紀元前T2000頃に北部でエストラ文明が登場した。初の文字であるエストラ文字は科学の発展に大きな功績をした。科学の力を用いたマルティン船とよばれる木造の大型船を建造し、大規模漁業を一般的にした。

1-4.ジーテ文明


紀元前T500頃に、フェリフ文明が災害と飢饉によって衰退すると、エストラ文明の影響を強く受けたジーテ文明が勃興した。
ジーテ文明は初の宗教であるイヘスヤ教を作りだした。イヘスヤ教は教典『イヘスヤ・ヴィヤ』を作り、は大地の神グロウを中心とした秩序と質素を重んじた。
そして原始イヘスヤ教の大神殿であるルル神殿を建設し、多くの書物を所蔵した。しかし、T700頃にルル神殿が大地震によって崩壊すると、ジーテ文明は急速に弱体化し、エストラ文明に吸収されていった。

1-5.オイハ・ヌクア


ルル神殿遺跡から発見された『オイハ・ヌクア』はエストラ文明ジーテ文明の始まりから終わりまでをエストラ文字で記述した歴史書で、ルル神殿崩壊直前まで書かれていたとみられることから未完だと考えられている。
この書物によって、エストラ文明とジーテ文明が繋がりを持っていた事が判明したとともに、古代文明の存在を確実なものとした。

1-6.エスジー文明


T800頃から発展したエスジー文明ではエストラ文明の文学・芸術・学問とジーテ文明のイヘスヤ教を中心とした生活スタイルが融合したものであった。
エスジー文明は非常に栄えた文明で多くの建築物・書物・芸術品が残されていたが、タウ帝によってそれらの遺物は尽く破壊され、現在まで残るものはほとんどない。

2.シグマ、タウによる島の発見と開発


エスジーはA海域におけるT3281(以後AT~)、C海域におけるT1225(以後CT~)、現実世界における5月18日(以後RT~)に発見された。

2-1.島の発見


発見はシグマ・Σ・メレトス(以後シグマ)、タウ・Τ・フリュー(以後タウ)の2名によるものである。
シグマ、タウ両者ともに国際先進国派遣団(略称:PIE)の所属員であり、新しい開発拠点となりうる島を探索中にエスジーを発見した。

シグマ、タウの手記である「支方見聞録」*1によると、以下のように記されている。
発見当初、エスジーと名付けたこの島は面積約3300万坪、森林約400万坪、平地1800万坪と開拓・生活に適した環境であった。
我々はすぐさま開発を開始するために派遣団へ連絡を行い、農業を開始した。
インタウンは我々の事をあたたく迎え入れてくれた。その数は1000人程度と思われる。
そのため我々は1300人の移民を行ったが、それでもインタウンとの共存を目指したのである。

2-2.エスジー文明・原住民の生活


インタウンらの生活は彼らの信仰しているイヘスヤ教の影響が強い。
イヘスヤ教は唯一神、大地の神グロウを信じ、自然を大事にしてきた宗教であった。
そのため、インタウンの生活も自然共生の生活スタイルであり、それがエスジーの自然を守ってきたと考えられている。
そして、それがインタウンの精神にも影響を及ぼし、全体的に非常に温和な性格である。

2-3.CT13世紀の支中海世界


エスジーが発見された、CT13世紀/AT33世紀の支中海世界は、江洲海の島々の民族が江洲海の地殻変動による島の沈没の危機を知り、支中海に新天地を求め、優秀な人材を引き連れて支中海の島を開拓し始めていた。
そんな中、一部で元江洲海民族による同盟の組織がなされていくものの、それでも支中海で大きな勢力を築いていたのが同盟『Ω花守』であった。
CT12世紀初め、支中海唯一の軍事同盟であった『†赤衛隊Ⅲ』とそれに警戒をしていた『Ω花守』の前身である『♪Union.』『〆混沌時空』との間に戦争が勃発する。(参考→自設自壊戦争(1112~1160))
この戦争によって、『†赤衛隊Ⅲ』は消滅し、支中海において目立つ軍事行動は忌避されるようになる。そのために、CT13世紀/AT33世紀は"超平和の1世紀"と呼ばれるようになった。

2-4.国家の形成


島の発見から7Tが経過したころから、エスジー内での国家形成の動きが出始める。
それまでは各集落(サークル)を形成し、それぞれが独立しているという生活形態を持っていたインタウンの中に移住民が入りこむという形であったが、インタウンよりも移住民が多くなってきたことにより、それまでのインタウン主体のサークルでは移住民の不満がたまり、移住民らの要望を受けて、シグマ・タウによるエスジー全土にわたる国家形成が進められることになった。しかしながら、シグマとタウの目指した国家形態は大きく異なっており、シグマは共和国制を、タウは帝国制を支持し、この事ををめぐって大きな混乱が起こった。(二対政治の始まり)
この混乱の中で、インタウンらの多くは現状の民主制(サークル内における)を支持し、シグマ・タウ両者や移住民との間に大きな軋轢を生むことになる。
しかし、インタウンでありながらも青年ジョン・バラウは共和制を支持し、ジョンはインタウンと移住民の仲介役として大きな役割を果たす。ジョンの活動によって、インタウンらの半分程度までが共和制を支持する結果になった。
これにより一気に支持を強めたシグマとは反対にタウはPIEの中でも孤立し始めていた。そのためタウはやむなく帝政支持を諦め、共和制を支持するようになり、エスジーは共和制で全土統一、エスジー総会が設置されることになった。

2-5.エスジー総会とニ対政治


エスジー内部の共和制確立のためにまず設置されたのが、エスジー総会である。
エスジー総会はインタウンと移住民が約半分ずつ出席し、エスジー内部の開発などについて話し合うためのもので、政治に関してはまだ整備はなされてはいなかった。
しかし、エスジー総会でも特に大きな影響力を持っていたエスジー最大のサークル『アベネ』の長であるマルサ・オウバとエスジー移住民代表であるタウによる開発に関する意見の相違などが度々起こり、開発は遅々として進まず、マルサ、タウは分かりあう事なく、エスジー総会はマルサ派とタウ派で二分されることになり、ここからニ対政治が始まることになる。

3.国家の確立


3-1.南北分裂


共和制という形で一時期はエスジー統一がなされたものの、ニ対政治によってエスジー総会は分裂し、CT1236には共和制である南エスジー(マルサ主導)と帝制である北エスジー(タウ帝)に分裂してしまう。
南北エスジー間での抗争(南北戦争)は長く続き、CT1255に南エスジーの共和制が崩壊し、ニ対政治は終わりを告げる。

3-2.古エスジー帝国


南北戦争に勝利したタウはマルサを捕まえ、見せしめのために公開処刑した。(タウ独裁政治
マルサ側であったシグマはタウの追手から逃げ、そののち消息が分からなくなった。
マルサ、シグマの二人が居なくなった事でタウは独裁政治をさらに強めていくことになる。

3-3.タウ帝の野望


タウは帝国の強大化を求めて、島の埋め立てや海軍の増強を推し進める事にした。(タウの国土改革
それまでエスジーにはPIIEからの支援などが貯めこまれており、タウ帝はそれを利用して、PIEに頼らない小国家の建設を目指した。

3-4.海軍の設置


タウはCT1261に最初の国営軍港を建設し、CT1266に完成させた。
完成後直ぐに、タウは工作艇を3隻建造した。
タウはこの工作艇3隻を利用して、島沖合での軍港建設および開発を進めていくのであった。

3-5.住宅地区の建設


タウはバァフイワ、ハガンジェジュ、ビオポーアそれぞれに軍港を建設し、その周辺地区を埋め立てによって形成した。*2それらは「住宅地区」と呼ばれ、第1地区(バァフイワ地域)、第2地区(ハガンジェジュ地域)、第3地区(ビオポーア地域)と命名された。
これら住宅地区はそれぞれ住民60万人までが収容できるように設計されており、そののちの国家繁栄のための基盤とされた。

3-6.旧エスジーの発見


タウは国の巨大化を受けて、エスジー総会を解散させ、エスジー統制本部(国家最高機関)を設置し、第4~7住宅地区造成にむけて工事を進めていた。
その工事の最中、埋め立て工事のため、海中を捜索していると、過去の遺構が発見された。*3
その遺構は高度な技術を保有していた民族の物と見られ、その中で航空機や艦艇の残骸も発見された。
エスジー統制本部はその残骸を回収し、研究した。その結果、U-22(戦闘機)とWat-10B(攻撃機)の開発に成功した。

3-7.軍備の拡充


タウはU-22とWat-10Bの開発成功の知らせを受けて、外敵の侵入に対抗するために、軍備の拡充を造成工事と同時に進める事にした。
まずタウが着手したのは防衛網の整備であった。防衛網の根幹となる軍港の建設を進め、ジャガエル・ビチアナ・ポイタバイジャフイ・ピアウーバ・イウオーインの5か所に軍港を建設する事を決定した。*4

3-8.海軍初の戦闘艦の建造


U-22、Wat-10Bの実戦配備*5が始まり、帝国上空を戦闘機が飛びかうようになっていた。しかし、航空機の仕組みについて完全に解明されておらず、事故の危険性も高かった。
そのため、タウは早急な水上戦闘艦の自力開発を指示し、海軍局はUro(軽駆逐艦)の開発を進めた。
Uro1号艦はCT1450の建造開始を計画し、ほぼ予定通りCT1453には建造が始められた。

3-9.タウ2世統治下の帝国


CT1455、タウ帝が急逝し*6タウ2世が帝王となった。
タウ2世は帝王としての責務をエスジー統制本部統括であったマカルスに丸投げし、自身は遊んで暮らすようになっていた。
その中で、武士オナーウ・U・アウイバウがタウ2世に近づき、政権を牛耳ろうと画策した。*7

3-10.オナーウの策略


オナーウはタウ2世に対し、軍事力の拡大と海外侵略を進言した。それに従いタウ2世はUroの2号艦~5号艦の建造、Uroの次世代艦であるeUroの開発を進めるように海軍局へ指示を行った。*8
オナーウはさらにタウ2世に対し、国民の増加や島拡大化などを進言し、帝国の経済的転覆を目論んでいた。
その一方で、オナーウは帝国維持軍を海軍とは別に設置し*9、自らの私的軍に仕立て上げたのであった。

3-11.イエヌバクィの反乱


オナーウによる帝国転覆計画が着々と進む中、海軍局局長イエヌバクィによる帝国崩壊の反乱がおこる。*10
イエヌバクィはタウ2世に取り入ろうとするオナーウを危険視しており、またタウ2世の丸投げ政治に対しても憤慨していたのであった。
イエヌバクィは250人に及ぶ同志を引き連れて、完成したばかりのUro-1を占拠し、タウ2世の住む皇居とオナーウ邸に向けて砲撃を行う。
この砲撃によって、皇居は半壊、オナーウ邸は全壊・全焼の被害を受け、タウ2世は重傷を負い、しゃべることすらままならなくなってしまった。
Uro-1は帝国維持軍(500人程度)によって舵を破壊され、航行不能になり、航空機からの煙幕によって、砲塔を無力化させた後、維持軍が短艇から乗り移り、反乱は鎮圧された。
イエヌバクィはUro-1の艦橋にて自害を図るも、死にきれず捕縛。そののち禁固300年になる。

4.新エスジー帝国時代


オナーウは病床のタウ2世を暗殺し、新エスジー帝国を建国*11

4-1.旧新革命


帝国の総人口が100万人を超え*12、国家改新の混乱もまだ残っているさなかの事、
オナーウは古エスジー帝国時代の要人(旧制派)に対して、『旧新革命』と称した排除を行った。
特にタウ2世が政治を丸投げした元エスジー統制本部統括マカルスに対しては死刑宣告を行った。
これに反発したマカルス一派(38人)に対しても最低禁固10年の処罰を下し、マカルスら含む旧制派12人が処刑場の露と消えた。

マカルスは旧制派では最も力を持っていた人物として帝国内では有名であり、人々の中には成り上がりの武士にすぎないオナーウに対して不信感を抱き始める物も出てきた。

そして新制派としてマカルスを継ぐ人物としてホーター・J・コニアクアが就任する。
ホーターはオナーウのかねてよりの部下として働いており、タウ2世暗殺を直接行ったとも言われている。
オナーウは絶対の信用を寄せる人物であり、エスジー統制本部統括と皇帝親衛隊総指令に任命された。
その後、オナーウの右腕としてホーターは新エスジー帝国を築いていく。

4-2.ヴィシュルの乱


マカルス処刑から間もなく、対オナーウ派と呼ばれる旧制残存勢力による反乱が起こる。*13
マカルス派主要人物の中で唯一逃走を続けていたヴィシュル・Σ・メレトス ――エスジー開拓者の一人、シグマ・Σ・メレトスの息子に当たる人物である。―― をトップとした総勢1400人による反乱である。
この反乱ではオナーウの失脚を狙い、タウ2世の暗殺やマカルス処刑についての事を書き記したビラ「真実の鏡」30000枚が帝国内にまき散らされ、帝国は一時混乱に陥る。

皇帝親衛隊(1800人)、帝国海軍(2000人)が鎮圧に向かい、「真実の鏡」は26000枚まで回収し、反乱軍に対しては発砲が許可されていたため、反乱軍は発見され次第捕縛、抵抗した場合には射殺された。

3日間続いた攻防の末、ヴィシュルら側近50人は帝国から脱出を図り、用意してあった工作艇に乗り込み、沿岸へ向かうもUro-1がこれを捕捉。Uro-1の雷撃により工作艇は撃沈され、32人の遺体を収容するも、ヴィシュルは行方不明となった。
皮肉にもUro-1はこれが初の戦果となった。

4-3.ヴィシュール文化


古エスジー帝国から新エスジー帝国への変換期に起こった多くの戦乱は「ヴィシュール文化」を生み出した。
イエヌバクィの反乱、旧新革命、ヴィシュルの乱の3つの大きな出来事はヴィシュール文化に大きな影響を与えている。
ヴィシュール文化は反戦を訴えつつも、オナーウに対する反攻意識が見え隠れした作品が多くあり、
書物では『崩壊神話』(ケラプス)や、『真実の鏡』(マケルドス)が有名である。
美術では『革命』(アルケラウド)、音楽では『コスモスの反戦歌』(ヴァートラッハ)などがある。
"強く絶対的なものに対して逆らう者"を表現した作品が多い。

4-4.ペテン戦争


新エスジー帝国の圧政の中、ヘデクパウダーと呼ばれるエスジーと同程度の規模の国家が侵入を図ってきた。*14
これに対し、オナーウはこの侵入に対して抵抗することを表明し、一致団結した戦時体系を取る。
ペテン戦争(CT1547~1629)に詳細を記載されている。

この敗戦必至と思われていた戦争で、大きな損失を出しながらも、抵抗して帝国を守りきったとして、帝国海軍総司令ジャカリ・β・カルベは賞賛を受けた。
ジャガリは海外からも関心を寄せられるような斬新な篭城戦を展開した。

4-5.ヴィシュールの大成と衰退


強大な三国との戦争で大被害を受けたが、執拗に守り続け、帝国は守られた。
この戦争で技術力に自信を持ち始めたオナーウは自らの正義こそ正しいとして、さらなる圧政を敷いた。
オナーウはUro、Uro2に続き、Union、eUroの建造計画を立て、更なる帝国強大化を目指した。
そんな中でヴィシュール文化はさらに進化し、アルゲメロス『英雄伝』*15によってヴィシュール文化は大成した。
その後も優秀な作品が生まれ、特にドンツェピキー『闇と雲』*16はヴィシュール文化最高傑作の小説とされている。
しかし、ドンツェピキー以後、ヴィシュール文化は衰退の一途をたどっていく。

4-6.カーキの炎


オナーウの圧政は国を発展させることに成功したが、生活レベルの上昇から、不満を持つものが多く現れてきた。
それはエスジー統制本部内でも例外ではなかった。
エスジー統制本部局員アリス・バトソンもその一人で、バトソンはオナーウに対して言論で反発を試みた。
それまでは暴力でしか訴えてこなかった反オナーウ勢力とは違い、言論で堂々と戦おうとしたのであった。
しかし、オナーウはバトソンを捕縛し、公開処刑とし、それと同時に皇帝を自らの息子に譲ったのであった。

CT1677、オナーウの息子カーキ・L・ウソメントは自らを『邪王』と名乗り、新エスジー帝国皇帝と成った。
カーキは、オナーウと同じく圧政を敷いた。

オナーウに比べて、無能であったカーキは、国民を牽引するほどのパワーはなく、オナーウやホーターが影で支えていた。
しかし、それをすべて自分の力だと勘違いしていたカーキは帝国巨大化を目指し、影で一大戦争を計画していた。

4-7.アルホグットの内政改革


ホーターに代わりエスジー統制本部統括長となったアルホグット・ゲットンは、エスジー統制本部を廃止し、新たにエスジー帝国政府を作ることを進言した。
アルホグットによる熱烈なアピールによって、カーキはこれを認め、アルホグットはこの後、内政改革を行っていくようになる。

アルホグットは帝国政府を基礎とした、大帝国を見据えた構造を作っていこうとしており、帝国海軍・帝国政府・皇帝局を作った。

4-8.CT17世紀の支中海世界


CT13世紀以降、江洲海からの技術的に先行していた移民族たちが支中海で大きな権力を握るようになり、その地盤は強固なものとなっていた。
特に彼らは同盟を結成して、互いの結束力を強めていた。同盟『£箱研』はその代表格として、支中海を取り巻く同盟の中でも最大規模であった。
そして、『£箱研』を中心として、『ЭMoon Drop』・『†EDF連合』・『Д僕たち高専生!』が海域を掌握していたのであった。
その中で単独で軍事行動に走れば、ペテン戦争のような戦争が再び起こり得ると思われた。

4-9.新型艦Unionの建造


CT1800、カーキは軍事力増強のため、駆逐艦Uro・UroⅡ5隻に追加して、潜水艦Union2隻の建造を命令した。
Unionの開発計画ではCT1500の建造開始を目指していたが、ペテン戦争により、300ターン程度の遅れが生じていた。
維持費が低めながら、強力な対艦装備をつけているUnionは海上制圧の要としてまず2隻が建造された。

そして、「紅の大移動*17」がやってくるのである。

4-10.アスジー戦争


「紅の大移動」に備えるため、カーキは戦争を計画。
T1842にアスキーアートへ宣戦布告、T1848に開戦の予定。
詳細はアスジー戦争(CT1848~1860)に記載されている。

アスジー戦争は紅の大移動によって中断される事になった。

4-11.紅の大移動


ついにその時がやってきた。
帝国は紅の大移動によって、琵威大海*18へ移動した。


5.琵威大海の波乱


琵威大海に移動した帝国は活動を活発化させる。
第2皇帝カーキ、第3皇帝グーファ、第4皇帝オウグテッド・マルクシスによる新エスジー帝国の全盛時代が築かれてゆく。

5-1.生存戦略同盟


BT*193917に帝国は生存戦略同盟なる軍事同盟を設立した。
設立はカーキが命じたもので、カーキがひそかに計画をしていた『M計画』の遂行のためであったとも言われている。

BT3918に屋久島、BT3919に硫黄島が参加し、琵威大海2位*20の同盟となった。ちなみに1位はノースポイントが結成した『青天の霹靂』である。
そののち、BT3947にイージス島も参加し、2位に帰り咲いた*21

5-2.エスジー漁船団と貿易公社


CT1815(BT3871)に設立されたエスジー貿易公社とCT1834(BT3890)に設立されたエスジー漁船団は琵威大海での積極的な海外進出を行い、その規模を大きく拡大させた。
これらの海外進出によって、国内生産が上昇し、経済が豊かに成っていった。
しかしその一方で、各所での摩擦を生むことにもなった。(エスジー貿易摩擦)

5-3.マロン危機


BT3952、Θ生存戦略同盟参加国である硫黄島に対して、当時ヘデクパウダーとの戦争に勝利し、国力を高めていたマロンが宣戦布告を通知。
すぐさまΘ生存戦略同盟緊急会議が開催され、BT3954に参加国他3島がマロンへ宣戦布告を通知。
その後、マロンが∽Tief Blauに加盟した事で同盟戦争への発展も一時は有り得たが、Θ生存戦略同盟緊急会議で平和的解決を模索することとなった。
結果、BT3969に硫黄島、BT3970にイージス島とエスジー帝国が、BT3971に屋久島がマロンと停戦した。

5-4.ソニックによる海軍再編


帝国はペテン戦争以降、国力に見合った軍備を行うべしとして軍備拡大を推し進めていたが、それが行き過ぎ、アスジー戦争以後、急速に国力オーバーの軍備になってしまった。
エスジー漁船団・エスジー貿易公社の設立によって、維持費が拡大し、既に30%もオーバーしていた。さらにこれに建造中のUndo-1が加わる事で、50%オーバーすることが予測された。
これに対処すべく、帝国海軍維持改善部が設置され、部長にK・ソニックが任命される。

ソニックはまず、150%から125%までの改善を図り、15ある軍港のうち4つを払い下げし、さらに駆逐艦UroⅡ-1『フォルト』、潜水艦Union-2『オーツー』を破棄し、
それにさらに誘致活動・採掘基地建設などによって収入を拡大させることでこれを達成しようとした。

この計画は結局、その後の戦争などによって行われずに終わった。

5-5.不在の乱


ソニックによる海軍再編が計画されていたころ、カーキは外遊に出発。
しかしその直後に渇翔島が帝国へ布告を行い、カーキは急遽戻る事になった。
詳細は不在の乱(BT3983~4180)に記載されている。

5-6.第3皇帝グーファの戴冠


BT4006、不在の乱(BT3983~4180)が続くなか、第2皇帝カーキは子グーファに皇帝の座を譲る。
第1皇帝オナーウの影響力縮小による国内分裂を防止するために、有能だと言われていたグーファに皇帝の座を譲ったのであった。

5-7.41世紀の琵威大海


BT4001から始まった41世紀の琵威大海は3つの大同盟『青天の霹靂』『Tief Blau』『生存戦略同盟』の思惑が交錯していた。
首位同盟『青天の霹靂』・2位同盟『Tief Blau』は意味深なメッセージを海域全体へ発信、3位同盟『生存戦略同盟』は各地での衝突が見られた。
また、この3同盟の間でもしばしば衝突が見られ、情勢は極めて不安定であった。

5-8.同色同盟の乱


帝国が不在の乱(BT3983~4180)で渇翔島との戦争を行っていた際、同盟『Tief Blau』のeden*およびマロンが渇翔島へ宣戦布告を行う。
この突然の宣戦布告にグーファは激怒し、「愚の介入だ」と罵倒し、一時は同盟戦争も已む無しとの考えを示していた。
しかし、eden*・マロンに動きが無く、グーファは渇翔島への援護作戦について後手対応とすることを決定し、帝国初の海外拠点の建設を開始した。
詳細は同色同盟の乱(BT4011~)に記載されている。

5-9.第2次ペテン戦争


BT4023に帝国はヘデクパウダーに宣戦を布告する。
安定した資源確保のためであったが、ノースポイントやハチャメチャが押し寄せて来るなどの介入に苦しめられた。
詳細は第2次ペテン戦争(BT4029~4200)に記載されている。

5-10.ノースポイントとの緊迫情勢


第2次ペテン戦争にノースポイントが介入し、『ラウンドハンマー作戦』なる計画を公表したことによって、帝国とノースポイントの間に大きな対立関係が生まれた。
互いに同盟盟主という立場であり、アスジー戦争(CT1848~CT1860)にて交戦経験があるという事もあり、もはや一発即発状態かと思われていた。

5-11.トーマス軍拡


第2次ペテン戦争(BT4029~4200)で大きく発展した帝国であったが軍備拡大がこれに追い付かない状況となっていた。
この状況に対し、対外諸国の軍拡に対抗するべきと考えていた、軽空母『スカイフォース』艦長トーマス・G・マロスは軍拡案を皇帝に提出した。
このような皇帝への直訴はそれまで前例がなく、驚かれたが、皇帝グーファはこれを受け取り、「トーマス軍拡」を推し進めるように指示した。

トーマスが提出した軍拡案では駆逐艦Uno2隻、軽空母Undo2隻、巨大戦艦i-station1隻の新造配備であった。
この結果、Uno-2,3、Undo-3,4、iSt-1の建造準備が開始されることになった。

5-12.国家低迷


第2次ペテン戦争(BT4029~4200)での軍事作戦が終了し、同色同盟の乱(BT4011~)も援護作戦を中断していた。
理由は、ただ一つ、帝国が資金不足に陥っていたためであった。
帝国は度重なる戦争によって多額の軍事費を使用し、資源が不足していた。
さらに怪獣の連続上陸や、海底資源の枯渇が相次いだため、海域での順位も低下。
同盟『Θ生存戦略同盟』も海域での順位を3位から5位*22に落としていた。

グーファはそんな中で有効な策を打ち出す事が出来ずにいた。

5-13.ゼブガド戦争


グーファはこのような情勢下で優勢を保つべく、大和2隻を喪失し、戦力が大幅に落ち込んでいた第七艦隊駐屯地に宣戦布告を行った。
このころ、第2次ペテン戦争(BT4029~4200)がヘデクパウダー壊滅によって一旦の終結を迎える事となったほか、『Θ生存戦略同盟』は海域2位にまで復活することとなった。
詳細はゼブガド戦争(BT4155~4203)に記載されている。

5-14.対外戦略での失敗


グーファは帝国の海域での優勢状況を守るべく、ゼブガド戦争(BT4155~4203)を行い、結果的に資金・食料・人口を手にする事が出来たが、軍事力拡大には成らず、
むしろ、爆撃の失敗などで少ない時間を浪費することとなってしまう。
また、一方で対外諸国の追い上げを妨害するための工作を行うものの、中途半端な行動で逆に妨害されてしまう。
対外諸国の追い上げにグーファは次第に焦りが生まれてきて、やはりまた、戦争を画策するのであった。

5-15.貴族の台頭


帝国は度重なる琵威大海における軍事行動を取るために貴族らに借金を行って戦争を行っていた。
既にその額はゼブガド戦争(BT4155~4203)の頃には10兆円を超え、いまや12兆円とも言われていた。
そんな状態の帝国で貴族らが力を大きくして行くのは当然の事であった。

特に力を強くした3大貴族シン家ハエアー家ポウグランド家は政府に対して貴族院の設立を求めた。(貴族政論争)
結果的にはそれは叶わなかったものの、政府機関、皇帝局などに貴族が入り込むこととなった。

グーファによる対外戦略失敗を知った貴族らは自らへの受難を恐れてグーファを皇帝の座から引きずり落とそうとする「皇帝落とし」を開始した。

5-16.グーファ失脚


グーファは貴族らによる度重なる圧力によって、政権を引きづり降ろされる事となり、グーファは志半ばで挫折した。
その後、グーファは皇帝親衛隊を利用して貴族らを暴力的に排除しようとしたものの、既にそこも貴族らの手に落ちていた。
完全に失脚したグーファは皇帝の座すらも失い、皇帝の座はオウグテッド・マルクシスが戴冠した。

5-17.第4皇帝オウグテッド・マルクシス


BT4191に第4皇帝に就任したオウグテッドだったが、貴族との癒着が酷く、皇帝親衛隊を貴族らに貸し出し貴族らは庶民らを服従させるようになった。
やがて、帝国のほとんどの政府機関が貴族によって掌握されていった。
貴族らは武装し、皇帝に対して半ば脅迫的に要求を通すようになっていき、彼らは武士貴族として絶対的な力を持つようになった。

6.輝けるエスジー大帝国


BT4200、帝国は海域首位に復活し、人口300万台を初めて突破した国家として、再び輝きを取り戻しつつあった。
同盟『生存戦略同盟』も海域2位*23となって、琵威大海での力を復活させていた。
しかしそれは、まもなく迫る大移動期の前の一瞬の輝きであった。

6-1.帝国の栄光


帝国はゼブガド戦争(BT4155~4203)時についに海域1位の座に復活し、さらにターン杯(100ターンに一度の名誉ある賞)も獲得した。
さらに、海域では初めて人口300万人の大台を突破した国家として他海の国家からも賞賛を受けることとなった。
こうして、帝国はこれまでにない栄光を手にすることになるのだが、オウグテッドはその成長に追い付けずにいた。

成長に追い付けず、武士貴族ら、とくにシン家から多くの進言を受けて、それに従う形でオウグテッドは政策を進めていった。
国内の農工場比率問題や軍備不足問題、同盟内問題など多くの問題を抱えていた帝国は武士貴族らによって立て直しが図られていった一方で、私利私欲を肥やす者たちも出現することとなった。

6-2.アルペル・ゲンザー


ゼブガド戦争(BT4155~4203)に勝利し、国家繁栄が国民にも実感できるようになってきた頃、国内では経済状況の回復など、見通しは明るくなっていた。
そうした中で、ヴィシュール文化の衰退などにとって代わって中心文化として芽生えたのが、アルペル・ゲンザーである。
アルペル・ゲンザーは帝国主義の確立に伴い、ヴィシュール文化よりも帝国主義に対して前向きな姿勢を示した文化であった。
貿易によって入ってきた様々な食べ物や衣服、生活用品などは安く手に入るようになり、流行となったほか、『アルオエル』(ケジャムラ)・『不在の乱史』(フーリュー)などの文学作品が生まれた。
こうした海外からの影響を大きく受けたアルペル・ゲンザーは帝国の繁栄とともにさらに成長を遂げていくことになる。

6-3.突風紛争


ゼブガド戦争(BT4155~4203)終結直後、帝国は当時海域首位同盟『Й疾風』加盟島Йaxzzに対して宣戦を布告する。
スパイダーによる破壊攻撃を帝国が如何にして対抗すべきかを問われる戦いとなった。
詳細は突風紛争(BT4209~4213)に記載されている。

6-4.王冠聖戦


突風紛争(BT4209~4213)終了直後、帝国は軍艦島に対して宣戦を布告する。
しかし、その直後に9島からの一斉布告を受けて、帝国は窮地に立たされることになった。
詳細は王冠聖戦(BT4223~4264)に記載されている。

6-5.シン・グループの帝国買収


王冠聖戦(BT4223~4264)において、多大な被害を受けた帝国は対外諸国及び国内で総額17兆円の借金をしていた。
それまでの借金12兆円と合わせて、29兆円に膨らんだ国債を帝国は返済不可能となり、帝国は一時債務不履行の危機に陥った。
そんな状態の帝国に対して、Shingroup.incが帝国の国土の3分の1を買い取り、そこにShingrop.inc開発区を建設する事を提案した。

オウグテッドはこの提案に対してかなり悩んだと言われているが、最終的にこれを受諾。
国土の3分の1をShinroup.incに譲渡し、その代わりに26兆円を受け取った。
これによって国債額は3兆円にまで落ち、帝国が崩壊する事は免れた。

6-6.シン・グループ開発区


Shingroup.incによる帝国買収によって、新たに建設されたのがシン・グループ開発区(エスジー開発区)である。
エスジー開発区建設に伴い、大規模な国土改変が行われる事が発表された。

7.英平洋へと


木枯らしの大移動によって帝国は英平洋へと移動した。

7-1.第8地区の建設


T4280頃、エスジー開発区、即ち第8地区と呼ばれるエリアが建設された。
第5地区と第6地区の狭間に建設された第8地区はSingroup.inc管轄となった。
また、第7地区の再開発や、防衛網の再構築も進められ、帝国は大規模な工事期間へと突入していた。

7-2.新生存戦略宣言


第8地区および沿岸改造工事がほぼ完了したことをうけ、オウグテッドは『新生存戦略宣言』を発表。
この宣言ではこれより予定されている16の復讐戦争を開始するとともに、英平洋での軍事活動を強めていくことを根幹としたものであった。

琵威大海で発表した『生存戦略宣言』が王冠聖戦(BT4223~4264)につながった事は明白で、政府は新宣言発表を渋っていたが、皇帝の命令によって発表されることとなった。

7-3.峻の谷戦争


新生存戦略宣言に従う形で、T4342に南鳥島に布告し、第一復讐戦が開始された。
南鳥島は帝国政府の作成している外交ブラックリスト(TBL)に於いてA級(集団暴行、便乗、無差別殺人、弱小罪、威借罪)に設定されていた。
詳細は峻の谷戦争(AT4342~4431)に記載されている。

7-4.”戦闘地域”進出


帝国は峻の谷戦争(AT4342~4431)の傍ら、”戦闘地域”と呼ばれる多くの島が拠点を作成しているエリアに進出することを決定した。

帝国は2つある戦闘地域のうち、まず第1戦闘地域に進出することとなり、そのために工作艇7隻の建造案と進出作戦案を固めた。

これら戦闘地域に関するエスジー記録はキューズ作戦(AT4375~)に記載されている。

7-5.サーム教の成長


帝国は対外進出を拡張させていく一方で、国内での第8地区建設など、いくつかの大事業を抱えていたが、発展していく中でも依然として国民には圧迫を強いていた。
そんな状況でサーム教という新興宗教が新世界の発見を説き、信者を増やしていた。
教祖はウイローアと称す男であるが、本名は明らかではない。

7-6.共有主義闘争


T4244、人類統合組織ソビエトと呼ばれる"共有主義"を取る国家がエスジーに対して主義の押し付けを行い、戦争に発展する。
この戦争では敵の戦艦に苦戦し、帝国は最大の危機を迎えることとなった。
詳細は共有主義闘争(AT4429~4544)に記載されている。

7-7.英平洋45世紀


45世紀を迎えた英平洋ではOperation.R.G.Dが依然として続き、海域の中で大きな勢力を作りつつあったのが同盟『£WARWOLF』『♪さちぃ一課』『Σミスリル 西太平洋戦隊』の古参国家グループで、このグループは強力な協力関係を作っており、各国家同士のつながりは極めて密接なものであった。それに対抗した『〆Royal Garden』『Agreement』は壊滅し、『£WARWOLF』勢力は海域の中での立場を確固たるものとした。
その一方で、比較的新しい同盟『★シ―ライオンズクラブ』と『ШInvincible Armada』は強力な島を確保し、特に軍事同盟である『ШInvincible Armada』は脅威なものとなっていた。

その中で、帝国とイージス島が参加していた『Θ生存戦略同盟』はその力を伸ばす事を出来ず、海域内での存在感は薄れていく一方であった。

7-8.皇帝の傀儡化


帝国は財政的に共有主義闘争(AT4429~4544)にて武士貴族から4兆、また対外的にも5兆規模の負債を抱え込むことになってしまった。
第8地区売却をして負債が一時的に3兆円程度まで縮小したものの、わずか200ターンで負債は12兆円にまで増加していた。

そんな中で武士貴族はますます力を伸ばしていった。皇帝オウグテッドは武士貴族によって選ばれた皇帝(選出皇帝)であったがために、
武士貴族はオウグテッドに対して無茶な要求を繰り返していた。オウグテッドは既に財政を握られているために強く反発することが出来ず、段々と要求を飲むことになってしまった。
オウグテッドが承認した要求の主なものが以下の5つであった。

武士貴族院の開設<>政府出納省長官は武士貴族院によって選出する<>海軍皇帝親衛隊の廃止<>武士貴族院に皇帝に対する拒否権を持たせる<>エスジー貿易公社の解体

これらがT4470に承認され、帝国はもはや、帝政とは言えない状態になってしまった。

7-9.帝国破産


帝国は、共有主義闘争(AT4429~4544)によって負債が急激に拡大し、停戦直後には負債27兆円を抱え込んでいた。
到底払い切れないと判断した皇帝オウグテッドは破産声明を発表したのち逃亡を図った。
多くの負債を持っていた武士貴族院は残りの全負債を買い取って、帝国の全財産を手中に収めた。

7-10.ブレーン革命


武士貴族院は帝国警団・皇帝警団を動かし全国土を一斉捜索し、オウグテッドを捕縛。
また、オウグテッドに関わる皇族15名も同様に捕縛し、投獄した。

武士貴族院はオウグテッドを死刑、妻子は永久投獄、ほか皇族は全財産を没収し、身分を剥奪した。
これによって行われた一連の改革はブレーン革命と呼ばれる。

7-11.クジャプレ抗争


武士貴族院は武士貴族院での決定によって全てが決められる新たな体制の確立を目指した。
しかし、武士貴族院の中で意思を統合することは難しかった。
三大貴族の一角ハウアー家のトップであるレフダ・クラ・ハウアー伯爵が暗殺される*24と、それに続く形でポウグランド家のトップであるルメプエ・ポウグランド伯爵の暗殺未遂事件が起こった。
これらが武士貴族院内部の不信を強め、武士貴族院はあえなく崩壊した。
そしてクジャメ家とプレグランド家の間で本格的な抗争*25が起こると、武士貴族同士での戦いが過激化し、内紛が至る所で勃発した。

7-12.シン家によるエスジー再統合


クジャプレ抗争が過激化し、国内が混乱していたころ、三大貴族の最大勢力であるシン家のシン・シアート伯爵は帝国の軍事権を利用して、他の武士貴族の殲滅を開始した。
少なからずの犠牲を払いながらもシン家によって武士貴族の抗争は沈静化され、シン家によってエスジー再統合が図られた。

8.第二帝国時代


T4540、シアートはエスジー第二帝国を建国。

8-1.シン・アブラジの炎


シアートは建国後、混乱が沈静し安定した頃に養子シン・アブラジに皇帝の座を譲渡する。
アブラジはシアートの政策を引き継ぐとともに、"蠍の炎政策"と呼ばれる強引な改造政策を実施する。
この政策の反発は大きかったが、この政策によって帝国は体制を一新し、評価は高い。

8-2.47世紀の英平洋


47世紀を迎え、帝国も共有主義闘争(AT4429~4544)からの復興を遂げつつあったころ、英平洋に於いてはOperation.R.G.Dが事実上の終結を迎えた。
寒風の小移動*26によってOperation.R.G.Dの敗戦側同盟『Agreement*27』が消滅し、その後『Ж流星群』、『〆Royal Garden』も消滅した。
45世紀には14あった同盟はたった2世紀で10にまで淘汰された。
大日本帝国海軍連合艦隊が加わった『Θ生存戦略同盟』は敗戦や本土改修などでその勢力を落とし、10同盟中最下位に落ち込んでいた。

また、英平洋におけるクリスタル蒐集の動きが強まり、多くのクリスタルが柊・帝政連邦ポツダム・太陽の島に集中し、
神聖トロイ帝国・無限島に残るクリスタルもそれらの勢力が獲得しようとしており、クリスタルをめぐる大戦の日が近いのではないかと危惧されつつある。

8-3.サジタリー戦役


帝国は虚空廟に対して宣戦を布告し、第2の復讐戦を開始した。
詳細はサジタリー戦役(AT4689~4836)に記載されている。

8-4.チェルラウラの闇


T4708、第1地区チェルラウラ市において、政変が起こった。
ラメエク・S・ゴレルカらが民衆を扇動し、貴族による支配からの脱却を唱えた。
帝国の建国者であるタウの記念碑"大タウ帝像"を破壊し、さらに新築されたばかりの教育法律省庁舎"ジェイン・タワー"を爆破するなど、大規模なテロを展開した。

テロの一報を知ったアブラジは帝国警団・皇帝警団に対してテロの沈静化を命令するが、サジタリー戦役(AT4689~)によって苦戦を強いられていたエスジー第2帝国海軍に精鋭の援軍を派遣していたため、帝国警団・皇帝警団はテロを鎮静する事が出来なかった。

T4709、アブラジのいる第1地区ハギア市・皇居は武装した民衆によって完全に包囲された。
ラメエクによって1発目の手榴弾が投げ込まれると、それに続く形で大量の手榴弾が皇居内に投げ入れられた。
これによって皇居は全焼した。アブラジは皇居地下に隠れていたが、皇居内に押し入った民衆によって発見され、捕縛された。

アブラジは斬首処刑され、多くの省庁舎・国営施設が破壊され、一瞬にして帝国は機能不全に陥った。
T4710、ラメエクによる暫定政府が樹立されるも、ラメエクがT4711に暗殺され、再び無政府状態へと戻った。

これ以降、エスジーは国家元首不在のまま、犯罪が横行する暗黒時代(チェルラウラの闇)に突入することになった。

歴史書『フ書』は政変時までで記載が止まっているため、チェルラウラの闇の間のエスジーについては不明瞭なままである。


9.フベレフ朝エスジー


T5013、無未不非教団の協力を受けて、ジャンジ・E・フベレフによってエスジーは再統一された。

9-1.ガイラの夜明け


T5012、第1地区ガイラにある無未不非教団本部『カルティアン』において、第7回ジューラ・フベレフ会議が行われた。
この会議には無未不非教団ほかチェルラウラ六大勢力がジャンジ・E・フベレフによるエスジー再統一を認めた。

T5013、フベレフは旧ハギア市内に於いて政権樹立宣言を行い、フベレフ朝エスジーが樹立。(ガイラの夜明け)
第1地区壊滅のため、主要施設を第2地区に移設することを発表した。また、反攻勢力はその日のうちに武力で鎮圧された。
第2地区ベハタランスはエシンバルと名前を改めて、フベレフ朝エスジーの新たな首都となった。

9-2.マーマーヘーベー海戦


T5054、万を期してフベレフ朝はSalamisに対して宣戦を布告。
この戦争は帝国の発展を掛けた大きな戦いで、莫大な資金を投入して行われた。
詳細はマーマーヘーベー海戦(AAT5060~5096)に記載されている。

9-3.死の聖戦


T5093、『死亡戦略同盟』を結成したフベレフ朝は"死の聖戦"の開始を宣言する。
T5094、ノースポイント連邦に宣戦布告を行い、それを開始した。
詳細は死の聖戦(AAT5100~)に記載されている。

9-4.国土完成


T5176、建設中だったイタビチ湾東第2防衛センターが竣工。
これによってエスジー沿岸の全軍事施設が完成し、約900ターンに及んだ国土改造計画が完了した。

その頃のフベレフ朝はマーマーヘーベー海戦(AAT5060~5096)、死の聖戦(AAT5100~)のオペレーション・カスミガセキの勝利によって、国力回復の兆しが見え始めていた。

9-5.フベレフ2世政権の誕生


T5180、フベレフはフベレフの直系長男フベレフ2世に政権を譲った。
フベレフ2世政権下では連戦によって混乱した経済の安定が図られ、平和な日々が長く続いた。

9-6.フベレフ絵画


フベレフ2世政権下では100T以上の平穏な時期があったために国民は富裕化し、文化が発展した。
特にフベレフ2世の行った文化保護策は精巧なフベレフ絵画を生みだした。
フベレフ絵画は近代的な遠近法を巧みに用いて、色を多彩に使ったものである。

9-7.ヴァン島との戦闘


T5330、フベレフ朝はヴァン島から宣戦布告を受ける。
T5336、開戦と共にヴァン島は巨大戦艦や機動艦隊を投入。フベレフ朝はこの対応に遅れ、被害を出した。

そして継戦が難しいと判断したフベレフ2世は一時離脱を行う*28

9-8.滅亡戦記(最後の戦線)


T5380、復帰したフベレフ朝は、ヴァン島に対して全力での抗戦を行う事を発表。
しかしフベレフ朝は人口400万人を超えるヴァン島に対して*29攻撃する策を建てられず、ヴァン島からの攻撃を受ける。

しばらくのエスジー近海での海戦によってエスジー海軍は崩壊し、防衛網も壊滅的被害を受けることとなった。

そしてT5430頃からヴァン島の爆撃機がエスジーに飛来し、そしてT5435頃の大空襲によって18万人以上が死亡し、国土はほぼ全面的に焦土化した。
首都であるエシンバル、政府省庁の他、民間企業も多大な被害を受け、ボウキング航空機開発・トマホーク自動車などは本社ビルが消失、廃業に追い込まれた。
ついにT5439、フベレフ朝はヴァン島に降伏。生き残った国民はわずか15万人と、戦前のわずか6%のみで、94%の国民が死亡した。
これによってフベレフ朝はもはや国を維持することもままならずに、フベレフ2世や海軍・政府幹部は暴徒化した民衆によって惨殺された。
フベレフ2世の死亡によって、フベレフ朝は消滅し、エスジーから脱出したフベレフ2世の弟のチェリラ1世は**で後フベレフ朝を建国した。


10.滅亡


フベレフ朝滅亡後、エスジー外に移民する人々が急増し、そしてエスジー内に残る者達は数少なく、内乱によって島は荒廃した。
そしてT5453、国際先進国派遣団はエスジーを派遣リストから抹消し、エスジーを『放棄島』扱いし、これ以降の調査を行う事は無かった。
2172Tに及ぶエスジーの最期はあまりにも悲惨なものであった。




ここにエスジーの歴史は完結を迎えた。











  • ただの島開発をよくここまでお話にできるな...www -- ? 2011-05-24 (火) 06:03:58
  • 国旗がなんかこわいお... -- ? 2011-08-11 (木) 18:35:59
  • 紅の大移動wwいいセンスですな -- 2011-08-24 (水) 20:17:32
  • せいぞーん、せんりゃくー!! -- 2011-09-02 (金) 00:30:47
  • なんか酷いぞ -- 2011-11-13 (日) 10:42:56
  • その外交リスト、一度見せてもらいたいな -- 2011-11-13 (日) 13:31:41
  • そういえば、エスジーにはエースパイロットっているのか? -- 百里? 2011-11-26 (土) 08:50:14
  • おまえ今日もメシウマなの? -- 大平和 2012-01-08 (日) 23:05:14
  • おかえりなさい。また歴史が紡がれるのを楽しみにしています。 -- 百科ファン? 2012-03-02 (金) 20:34:31
  • 万感の思いです。 -- 2012-05-16 (水) 20:07:41
  • ちょうど1年、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。 -- 百科ファン? 2012-05-16 (水) 20:09:15
  • 一年記念パピコ -- ? 2012-05-16 (水) 21:34:09
  • おつ 復活を望む -- ? 2012-05-18 (金) 19:33:39
  • お疲れさまです。また復帰されるときを楽しみにしています。 -- ? 2012-05-18 (金) 22:32:14
  • 盟主殿、お疲れ様です。また会える時を心待ちにしています -- 食い倒れ? 2012-05-18 (金) 23:11:38
  • 本当にお疲れ様でした。またいつか逢いましょう、復帰されるのを待ってます。 -- 栗林? 2012-05-18 (金) 23:23:10


今日1
昨日1
総計13141



 

*1 支方とはC海域の事である。支中海とも呼ばれている。
*2 T1280頃
*3 CT1350頃
*4 CT1385決定、CT1431完了
*5 CT1410頃~
*6 事故死
*7 CT1455
*8 CT1459
*9 CT1468、Uro-1の完成と同時期
*10 CT1771
*11 CT1772
*12 CT1485
*13 CT1488
*14 CT1540
*15 CT1650初版
*16 CT1663初版
*17 第7回移籍
*18 B海域
*19 B海域のターン、A海域のターンと同一
*20 当時同盟は4つのみであった
*21 それまでは『青天の霹靂』『Tief Blau』に次ぐ第3位であった
*22 10同盟中
*23 10同盟中。なお1位は疾風、3位は青天の霹靂である
*24 ハウアー怪事
*25 クジャプレ抗争
*26 第8.6回移籍
*27 ЯCelestia、∽Tief Blau
*28 管理人預かり
*29 当時のフベレフ朝の人口は250万程度