SGの歴史 のバックアップ(No.7)


SGの歴史SG史とは、SGにおける歴史のこと。
本項ではSGの歴史を概観する。
また、SGの戦史についても本項で扱う。


歴史

概要


 SGの歴史は基本的にはイヘスヤ時代を始まりとする。
 古来SG人であるインタウン族は、大陸から切り離され独自の文明であるエスジー文明を築いたが、T1225にシグマ・タウによってSGが発見されるとシグマらによってもたらされた外来文明と融合し、続エスジー文明に進展した。
 続エスジー文明によって生活レベルが向上し、国家の形成・政治の確立などが促された。一時的にSGは2つの国家に分裂するものの、抗争を経て初の統一王朝である古SG帝国が成立した。古SG帝国の元、国土の改造や造船・海外進出が奨励されるようになり、続エスジー文明の独自色は薄れていった。
 反乱によって古SG帝国が倒されると続いて新SG帝国が成立した。新SG帝国は圧政を敷いて国民の自由を抑制すると、ヴィシュール文化が国家への不満を体現したものとして出現した。第2代皇帝カーキの時代には初の対外戦争であるペテン戦争アスジー戦争不在の乱の3つの戦争が経験された。これによって新SG帝国は一時的な戦争特需に見舞われ、国民の生活レベルは格段に向上することとなり、帝国は圧政を徐々に緩めていった。
 3代目皇帝グーファの時代には第2次ペテン戦争ゼブガド戦争によって帝国は先進国の仲間入りを果たすこととなったが、政治の腐敗が始まり政権は貴族によって牛耳られていた。続く4代目皇帝オウグテッド・マルクシスは完全な傀儡皇帝と為り下がり、国民に対しての圧政を完全に解除した。もたらされた富はアルペル・ゲンザー文化を形成し、帝国主義は国民に受け入れられるようになった。~突風紛争および王冠聖戦によって帝国の繁栄に陰りが見え始め、竣の谷戦争キューズ作戦共有主義闘争によって帝国は国力が2/3程度にまで低下し、此の事が不満となって新SG帝国は滅亡した。
 強大な貴族であったシン家によってSG第二帝国が建国されるもサジタリー戦役の敗戦によってSG第二帝国はほどなくして滅亡する。
 ミッシング・リンクを経て共和政権であるフベレフ朝SGが成立するとマーマーヘーベー海戦死の聖戦によって帝国は再度国力を回復することとなった。

原生時代


SGの本土形成から、人類がSGの住むようになるまでの時代を指す。

イヘスヤ時代


SGが大陸から切り離され、SGで暮らす人々が独自の文明を築いた時代を指す。

フジェラ時代


SGがシグマ、タウらによって発見されてから、国家が形成されるまでの時代を指す。

南北朝時代


SGが南SG、北SGに分裂した時代を指す。

クヘヤ時代


南北SGが統合されて古SG帝国が形成された時代を指す。

アレクヘヤ時代


古SG帝国の繁栄した時代を指す。

ジェーダ時代


古SG帝国の末期から新SG帝国が形成される時代を指す。

ヴィシュール時代


ヴィシュール文化が大成した時代を指す。

グレンダ時代


新SG帝国が繁栄した時代を指す。
最も長い時代。

ゲンザー時代


アルペルゲンザーが大成した時代を指す。

クジャプレ時代


新SG帝国末期から、貴族の台頭・衰退した時代を指す。

シン朝時代


SG第二帝国時代を指す。

無政府時代


SG第二帝国の終焉から、フベレフ朝が建てられるまでの無政府状態の時代を指す。

フベレフ朝時代


フベレフ朝SG時代を指す。

時代区分


SGの歴史においての時代区分は様々なものがあり、定説と呼べるものは無い。
しかしながら、現時点で古代・中世・近世・近代とする時代区分法が一般的に受け入れられている。
この場合には、シグマ、タウによって島が発見される前を古代SG、古SG帝国の間を中世SG、新SG帝国の間を近世SG、SG第二帝国の間を近代SGと呼ぶ事が一般的である。
また、近年では古代SG以前で、人が居なかったもしくは原始的な生活をしていた時代についても研究が進んでおり、その時代を原始SGと呼ぶこともある。

しかしこの区分に於いては、文化・技術的な背景がマッチングしていない。
そのため教育省の「新教育要綱(AT4600改訂版)」では文化・技術的背景を考慮した区分法として、フゲラー区分が紹介されている。

フゲラー区分はジェーラ・フゲラーが提案した区分で、発見前のSGについては古代SG、発見後から古SG帝国が建国されるまでを中世SG、古SG帝国から新SG帝国中頃までを近世SG、新SG帝国中頃から終わりまでを近代SG、それ以降を現代SGと呼ぶものである。
フゲラー区分では、文化および技術、対外関係の発展などで大きな一歩を遂げたところを境とする区分であり、教育現場においては歴史の流れを理解しやすい区分として受け入れられるようになってきている。

歴史認識・歴史叙述

歴史書一覧

正統な歴史書


古新SG帝国・SG第二帝国において正統な歴史書として認められている10の歴史書。
編年体で書かれており、現在も執筆が続いている。
これらはSG中央歴史館に保管されている。

アベネ記(2巻)マルサ・オウバ2世CT1245(AT3301)頃SGの最大村(サークル)『アベネ』の歴史書
歴史(3巻)ベウーダCT1460(AT3516)頃タウ帝による古SG帝国史
安史(1巻・未完)クラムリCT1480(AT3536)頃タウ2世時代の古SG帝国史
新書(7巻)シセ・バンCT1629(AT3685)頃新SG帝国の成立からペテン戦争まで
靜書(3巻)クラシアータ・ロバCT1860(AT3916)ペテン戦争からアスジー戦争まで
動書(2巻)エルBT3980紅大移動から不在の乱直前まで
続動書(3巻)エホラBT4100グーファ戴冠から第2次ペテン戦争/不在の乱途中まで
総伝(15巻)リョウ・センBT4200それまでの全歴史をまとめた歴史書
回書(4巻)ヘラマベブAT4542オウグテッド帝から新SG帝国の終焉まで
フ書(1巻・未完)AT4708SG第二帝国の建国から崩壊まで

その他の有名な歴史書


歴史研究

戦史


ペテン戦争(A,3603~3685)

 ペテン戦争(CT1547~1629)は、新SG帝国初代皇帝オナーウ統治下・グレンダ時代初期に勃発した戦争である。SGの通史の中で初めての対外戦争であり、それまでの内紛などとは規模が桁違いに大きなものであったため、この戦争がSGの歴史最初の危機であるとする歴史学者は多い。
 ヘデクパウダー・シベリア連邦・ラウテルン共和国の3国によって侵攻を受けた新SG帝国は敗北、民間戦死者60万人という凄まじい犠牲を伴いつつも、この戦争で得た技術は復興に役立てられることとなり新SG帝国の発展の基礎を作った。

アスジー戦争(A,3904~3916)

 アスジー戦争(CT1848~1860)は、新SG帝国第2代皇帝カーキ統治下・グレンダ時代中期に勃発した戦争である。ペテン戦争から復興した新SG帝国が初めて起こした対外戦争であり、帝国の勢力拡大の意欲は大きなものであった。
 開戦直後は新SG帝国が優勢だったものの、ノースポイントの参戦によって戦局は反転し、結果的に10万人程度の犠牲を伴って、本来の意図は実現される事は無かった。

不在の乱(A,3983~4180)

 不在の乱(BT3983~4180)は、新SG帝国第2代皇帝カーキ統治下・グレンダ時代中期に勃発した戦争である。アスジー戦争以降、活動を活発化させた新SG帝国を抑えるために渇翔島が新SG帝国に対して宣戦した。新SG帝国の威信を賭けた戦争であったが、戦局は二転三転し、同色同盟の乱に繋がっていった。

同色同盟の乱(A,4011~4175)

 同色同盟の乱(BT4011~4175)は、新SG帝国第3代皇帝グーファ統治下・グレンダ時代中期に勃発した戦争である。基本的に不在の乱の続きとされ、SGの歴史の中で初の多国間戦争である。
 新SG帝国は比較的安全な立場に居て、援護のみで特に大きな被害を出したわけではない。しかしこの時に結束の強まった新SG帝国の率いる生存戦略同盟は組織的に動くようにもなっていった。

第2次ペテン戦争(A,4029~4200)

 第2次ペテン戦争(BT4029~4200)は、新SG帝国第3代皇帝グーファ統治下・グレンダ時代後期に勃発した戦争である。ペテン戦争の報復として新SG帝国がヘデクパウダーを侵攻した。歴史学者の間では『SGによる最初の報復戦争(ファーストリベンジ)』と位置付けられている。
 この戦争で2国からの介入を受けた新SG帝国では"介入制裁法"が立案されるほどであったが、結果的に110万人程度に対して爆撃し、ペテン戦争で受けた被害を大きく上回る戦果であった。

ゼブガド戦争(A,4155~4203)

 ゼブガド戦争(BT4155~4203)は、新SG帝国第3代皇帝グーファ統治下・グレンダ時代後期に勃発した戦争である。新SG帝国が第七艦隊駐屯地を侵攻した。歴史学者の中では同色同盟の乱の報復ではないかと考えられており、『SGによる2度目の報復戦争(セカンドリベンジ)』と言われている。
 戦局は新SG帝国の圧倒的優勢のうちに終わり、新SG帝国はこの戦争で人口が300万人を突破し、海域首位に躍り出た。

突風紛争(A,4209~4213)

 突風紛争(BT4209~4213)は、新SG帝国第4代皇帝オウグテッド統治下・ゲンザー時代初期に勃発した戦争である。新SG帝国全盛期にありながらも人口200万にも満たなかった国家との戦争で敗北した。『SG史最大の恥辱』と言われ、SGの公式歴史書『回書』には記載が為されず、記録を残す事が禁じられた。
 axzzによって新SG帝国の主要な軍施設が破壊されたのに狼狽した皇帝オウグテッドが土下座をしたと伝えられており、一部では土下座戦争とも言われている。

王冠聖戦(A,4223~4264)

 王冠聖戦(BT4223~4264)は、新SG帝国第4代皇帝オウグテッド統治下・ゲンザー時代初期に勃発した戦争である。SGの歴史最大の危機にして最初の超大規模戦争である。
 活発な軍事活動を行い続けていた新SG帝国に対して多くの批判が為されていたが、新SG帝国が軍艦島に布告したのをきっかけとして22島が新SG帝国および生存戦略同盟に対して宣戦するが、生存戦略同盟および当時海域首位(新SG帝国は2位に転落)の£火星に代わって折檻じゃ!は果敢に反撃を行い、結果的にこの戦争で勝利した。
 しかしながらSGはペテン戦争並の損害を負っており、復興には多大な時間を要し、これ以降新SG帝国は低迷していくこととなる。

峻の谷戦争(A,4342~4431)

 峻の谷戦争(AT4342~4431)は、新SG帝国第4皇帝オウグテッド統治下・ゲンザー時代中期に勃発した戦争である。イムレスク計画による第1の復讐戦とされているが、歴史的には『SGによる3度目の報復戦争(サードリベンジ)』とされる。
 南鳥島に対して宣戦を布告した新SG帝国であったが思う様な戦果を挙げる事は叶わず、再びの戦争を示唆した。

共有主義闘争(A,4429~4544)

 共有主義闘争(AT4429~4544)は、新SG帝国第4皇帝オウグテッド統治下・ゲンザー時代末期に勃発した戦争である。SGの歴史3度目の危機であり、弱体化しつつあった新SG帝国を崩壊させた戦争とされる。
 共有主義を掲げる人類統合組織ソビエトによる激しい侵攻によってSGは一方的な防戦に立たされ、それはペテン戦争を彷彿とさせるものであった。結果としては痛み分けに終わったものの、新SG帝国が受けた損害は単独戦争にしては大きすぎるものであった。

サジタリー戦役(A,4689~4836)

 サジタリー戦役(AT4689~4836)は、SG第二帝国第2皇帝アブラジ統治下・シン朝時代中期に勃発した戦争である。イムレスク計画による第3の復讐戦とされているが、歴史的には『SGによる4度目の報復戦争(フォースリベンジ)』とされる。
 戦況はSG第二帝国の優勢のはずだったが、この戦争でSG第二帝国はまさかの敗北を喫し、SG第二帝国は崩壊。非常に短命な政権であった。

死の聖戦(A,5100~)

 死の聖戦(AT5100~)は、フベレフ朝SG共和帝国第1皇帝フベレフ統治下・フベレフ朝SG時代初期に勃発した戦争である。イムレスク計画による第4・第5の復讐戦とされるが、歴史的には『SGによる5度目の報復戦争(フィフスリベンジ)』とされる。
 ノースポイント連邦との長期戦を考えていたが、結果的には3-1というSGの歴史の中では初の数的有利下での戦争であった。また併行して屋久島による択捉島侵攻も行われていた。

関連項目