SG のバックアップ(No.39)


SGとは、B海域(v02)に存在する島である。
島主はστ(シグマ-タウ)。


島の発見

SGはA海域におけるT3281(以後AT~)、C海域におけるT1225(以後CT~)、現実世界における5月18日(以後RT~)に発見された。

発見はシグマ・Σ・メレトス(以後シグマ)、タウ・Τ・フリュー(以後タウ)の2名によるものである。
シグマ、タウ両者ともに国際先進国派遣団(略称:PIIE)の所属員であり、新しい開発拠点となりうる島を探索中にSGを発見した。

シグマ、タウの手記である「支方見聞録」*1によると、以下のように記されている。
発見当初、SGと名付けたこの島は面積約3300万坪、森林約400万坪、平地1800万坪と開拓・生活に適した環境であった。
我々はすぐさま開発を開始するためにPIIEへ連絡を行い、農業を開始した。
インタウンは我々の事をあたたく迎え入れてくれた。その数は1000人程度と思われる。
そのため我々は1300人の移民を行ったが、それでもインタウンとの共存を目指したのである。

インタウンとはSG原住民の事であり、非常に温和な民族である。

原住民の生活


原住民、インタウンらの生活は彼らの信仰しているイヘスヤ教の影響が強い。
イヘスヤ教は唯一神、大地の神グロウを信じ、自然を大事にしてきた宗教であった。
そのため、インタウンの生活も自然共生の生活スタイルであり、それがSGの自然を守ってきたと考えられている。

CT13世紀の支中海世界


SGが発見された、CT13世紀/AT33世紀の支中海世界は、江洲海の島々の民族が江洲海の地殻変動による島の沈没の危機を知り、支中海に新天地を求め、優秀な人材を引き連れて支中海の島を開拓し始めていた。
そんな中、一部で元江洲海民族による同盟の組織がなされていくものの、それでも支中海で大きな勢力を築いていたのが同盟『Ω花守』であった。
CT12世紀初め、支中海唯一の軍事同盟であった『†赤衛隊Ⅲ』とそれに警戒をしていた『Ω花守』の前身である『♪Union.』『〆混沌時空』との間に戦争が勃発する。(参考→自設自壊戦争(1112~1160))
この戦争によって、『†赤衛隊Ⅲ』は消滅し、支中海において目立つ軍事行動は忌避されるようになる。そのために、CT13世紀/AT33世紀は"超平和の1世紀"と呼ばれるようになった。

国家の形成


島の発見から7Tが経過したころから、SG内での国家形成の動きが出始める。
それまでは各集落(サークル)を形成し、それぞれが独立しているという生活形態を持っていたインタウンの中に移住民が入りこむという形であったが、インタウンよりも移住民が多くなってきたことにより、それまでのインタウン主体のサークルでは移住民の不満がたまり、移住民らの要望を受けて、シグマ・タウによるSG全土にわたる国家形成が進められることになった。しかしながら、シグマとタウの目指した国家形態は大きく異なっており、シグマは共和国制を、タウは帝国制を支持し、この事ををめぐって大きな混乱が起こった。(二対政治の始まり)
この混乱の中で、インタウンらの多くは現状の民主制(サークル内における)を支持し、シグマ・タウ両者や移住民との間に大きな軋轢を生むことになる。
しかし、インタウンでありながらも青年ジョン・バラウは共和制を支持し、ジョンはインタウンと移住民の仲介役として大きな役割を果たす。ジョンの活動によって、インタウンらの半分程度までが共和制を支持する結果になった。
これにより一気に支持を強めたシグマとは反対にタウはPIIEの中でも孤立し始めていた。そのためタウはやむなく帝政支持を諦め、共和制を支持するようになり、SGは共和制で全土統一、SG総会が設置されることになった。

SG総会とニ対政治


SG内部の共和制確立のためにまず設置されたのが、SG総会である。
SG総会はインタウンと移住民が約半分ずつ出席し、SG内部の開発などについて話し合うためのもので、政治に関してはまだ整備はなされてはいなかった。
しかし、SG総会でも特に大きな影響力を持っていたSG最大のサークル『アベネ』の長であるマルサ・オウバとSG移住民代表であるタウによる開発に関する意見の相違などが度々起こり、開発は遅々として進まず、マルサ、タウは分かりあう事なく、SG総会はマルサ派とタウ派で二分されることになり、ここからニ対政治が始まることになる。

国家の確立


南北分裂


共和制という形で一時期はSG統一がなされたものの、ニ対政治によってSG総会は分裂し、CT1236には共和制である南SG(マルサ主導)と帝制である北SG(タウ帝)に分裂してしまう。
南北SG間での抗争(南北戦争)は長く続き、CT1255に南SGの共和制が崩壊し、ニ対政治は終わりを告げる。

古SG帝国


SG帝国旗

南北戦争に勝利したタウはマルサを捕まえ、見せしめのために公開処刑した。(タウ独裁政治
マルサ側であったシグマはタウの追手から逃げ、そののち消息が分からなくなった。
マルサ、シグマの二人が居なくなった事でタウは独裁政治をさらに強めていくことになる。

タウ帝の野望


タウは帝国の強大化を求めて、島の埋め立てや海軍の増強を推し進める事にした。(タウの国土改革
それまでSGにはPIIEからの支援などが貯めこまれており、タウ帝はそれを利用して、PIIEに頼らない小国家の建設を目指す。

海軍の設置


タウはCT1261に最初の国営軍港を建設し、CT1266に完成させた。
完成後直ぐに、タウは工作艇を3隻建造した。
タウはこの工作艇3隻を利用して、島沖合での軍港建設および開発を進めていくのであった。

第1~第3住宅地区


タウはバァフイワ、ハガンジェジュ、ビオポーアそれぞれに軍港を建設し、その周辺地区を埋め立てによって形成した。*2それらは「住宅地区」と呼ばれ、第1地区(バァフイワ地域)、第2地区(ハガンジェジュ地域)、第3地区(ビオポーア地域)と命名された。
これら住宅地区はそれぞれ住民60万人までが収容できるように設計されており、そののちの国家繁栄のための基盤とされた。

旧SGの発見


タウは国の巨大化を受けて、SG総会を解散させ、SG統制本部(国家最高機関)を設置し、第4~7住宅地区造成にむけて工事を進めていた。
その工事の最中、埋め立て工事のため、海中を捜索していると、過去の遺構が発見された。*3
その遺構は高度な技術を保有していた民族の物と見られ、その中で航空機や艦艇の残骸も発見された。
SG統制本部はその残骸を回収し、研究した。その結果、U-22(戦闘機)とWat-10B(攻撃機)の開発に成功した。

軍備の拡充


タウはU-22とWat-10Bの開発成功の知らせを受けて、外敵の侵入に対抗するために、軍備の拡充を造成工事と同時に進める事にした。
まずタウが着手したのは防衛網の整備であった。防衛網の根幹となる軍港の建設を進め、ジャガエル・ビチアナ・ポイタバイジャフイ・ピアウーバ・イウオーインの5か所に軍港を建設する事を決定した。*4

海軍初の戦闘艦の建造


U-22、Wat-10Bの実戦配備*5が始まり、帝国上空を戦闘機が飛びかうようになっていた。しかし、航空機の仕組みについて完全に解明されておらず、事故の危険性も高かった。
そのため、タウは早急な水上戦闘艦の自力開発を指示し、海軍局はUro(軽駆逐艦)の開発を進めた。
Uro1号艦はCT1450の建造開始を計画し、ほぼ予定通りCT1453には建造が始められた。

タウ2世統治下の帝国


CT1455、タウ帝が急逝し*6タウ2世が帝王となった。
タウ2世は帝王としての責務をSG統制本部統括であったマカルスに丸投げし、自身は遊んで暮らすようになっていた。
その中で、武士オナーウ・U・アウイバウがタウ2世に近づき、政権を牛耳ろうと画策した。*7

オナーウの策略


オナーウはタウ2世に対し、軍事力の拡大と海外侵略を進言した。それに従いタウ2世はUroの2号艦~5号艦の建造、Uroの次世代艦であるeUroの開発を進めるように海軍局へ指示を行った。*8
オナーウはさらにタウ2世に対し、国民の増加や島拡大化などを進言し、帝国の経済的転覆を目論んでいた。
その一方で、オナーウは帝国維持軍を海軍とは別に設置し*9、自らの私的軍に仕立て上げたのであった。

イエヌバクィの反乱


オナーウによる帝国転覆計画が着々と進む中、海軍局局長イエヌバクィによる帝国崩壊の反乱がおこる。*10
イエヌバクィはタウ2世に取り入ろうとするオナーウを危険視しており、またタウ2世の丸投げ政治に対しても憤慨していたのであった。
イエヌバクィは250人に及ぶ同志を引き連れて、完成したばかりのUro-1を占拠し、タウ2世の住む皇居とオナーウ邸に向けて砲撃を行う。
この砲撃によって、皇居は半壊、オナーウ邸は全壊・全焼の被害を受け、タウ2世は重傷を負い、しゃべることすらままならなくなってしまった。
Uro-1は帝国維持軍(500人程度)によって舵を破壊され、航行不能になり、航空機からの煙幕によって、砲塔を無力化させた後、維持軍が短艇から乗り移り、反乱は鎮圧された。
イエヌバクィはUro-1の艦橋にて自害を図るも、死にきれず捕縛。そののち禁固300年になる。

新SG帝国


オナーウは病床のタウ2世を暗殺し、新SG帝国を建国*11

旧新革命


帝国の総人口が100万人を超え*12、国家改新の混乱もまだ残っているさなかの事、
オナーウは古SG帝国時代の要人(旧制派)に対して、『旧新革命』と称した排除を行った。
特にタウ2世が政治を丸投げした元SG統制本部統括マカルスに対しては死刑宣告を行った。
これに反発したマカルス一派(38人)に対しても最低禁固10年の処罰を下し、マカルスら含む旧制派12人が処刑場の露と消えた。

マカルスは旧制派では最も力を持っていた人物として帝国内では有名であり、人々の中には成り上がりの武士にすぎないオナーウに対して不信感を抱き始める物も出てきた。

そして新制派としてマカルスを継ぐ人物としてホーター・J・コニアクアが就任する。
ホーターはオナーウのかねてよりの部下として働いており、タウ2世暗殺を直接行ったとも言われている。
オナーウは絶対の信用を寄せる人物であり、SG統制本部統括と皇帝親衛隊総指令に任命された。
その後、オナーウの右腕としてホーターは新SG帝国を築いていく。

ヴィシュルの乱


マカルス処刑から間もなく、対オナーウ派と呼ばれる旧制残存勢力による反乱が起こる。*13
マカルス派主要人物の中で唯一逃走を続けていたヴィシュル・Σ・メレトス ――SG開拓者の一人、シグマ・Σ・メレトスの息子に当たる人物である。―― をトップとした総勢1400人による反乱である。
この反乱ではオナーウの失脚を狙い、タウ2世の暗殺やマカルス処刑についての事を書き記したビラ「真実の鏡」30000枚が帝国内にまき散らされ、帝国は一時混乱に陥る。

皇帝親衛隊(1800人)、帝国海軍(2000人)が鎮圧に向かい、「真実の鏡」は26000枚まで回収し、反乱軍に対しては発砲が許可されていたため、反乱軍は発見され次第捕縛、抵抗した場合には射殺された。

3日間続いた攻防の末、ヴィシュルら側近50人は帝国から脱出を図り、用意してあった工作艇に乗り込み、沿岸へ向かうもUro-1がこれを捕捉。Uro-1の雷撃により工作艇は撃沈され、32人の遺体を収容するも、ヴィシュルは行方不明となった。
皮肉にもUro-1はこれが初の戦果となった。

ヴィシュール文化


古SG帝国から新SG帝国への変換期に起こった多くの戦乱は「ヴィシュール文化」を生み出した。
イエヌバクィの反乱、旧新革命、ヴィシュルの乱の3つの大きな出来事はヴィシュール文化に大きな影響を与えている。
ヴィシュール文化は反戦を訴えつつも、オナーウに対する反攻意識が見え隠れした作品が多くあり、
書物では『崩壊神話』(ケラプス)や、『真実の鏡』(マケルドス)が有名である。
美術では『革命』(アルケラウド)、音楽では『コスモスの反戦歌』(ヴァートラッハ)などがある。
"強く絶対的なものに対して逆らう者"を表現した作品が多い。

ペテン戦争


新SG帝国の圧政の中、ヘデクパウダーと呼ばれるSGと同程度の規模の国家が侵入を図ってきた。*14
これに対し、オナーウはこの侵入に対して抵抗することを表明し、一致団結した戦時体系を取る。
ペテン戦争(1547~1629)に詳細を記載されている。

この敗戦必至と思われていた戦争で、大きな損失を出しながらも、抵抗して帝国を守りきったとして、帝国海軍総司令ジャカリ・β・カルベは賞賛を受けた。
ジャガリは海外からも関心を寄せられるような斬新な篭城戦を展開した。

ヴィシュールの大成と衰退


強大な三国との戦争で大被害を受けたが、執拗に守り続け、帝国は守られた。
この戦争で技術力に自信を持ち始めたオナーウは自らの正義こそ正しいとして、さらなる圧政を敷いた。
オナーウはUro、Uro2に続き、Union、eUroの建造計画を立て、更なる帝国強大化を目指した。
そんな中でヴィシュール文化はさらに進化し、アルゲメロス『英雄伝』*15によってヴィシュール文化は大成した。
その後も優秀な作品が生まれ、特にドンツェピキー『闇と雲』*16はヴィシュール文化最高傑作の小説とされている。
しかし、ドンツェピキー以後、ヴィシュール文化は衰退の一途をたどっていく。

カーキの炎


オナーウの圧政は国を発展させることに成功したが、生活レベルの上昇から、不満を持つものが多く現れてきた。
それはSG統制本部内でも例外ではなかった。
SG統制本部局員アリス・バトソンもその一人で、バトソンはオナーウに対して言論で反発を試みた。
それまでは暴力でしか訴えてこなかった反オナーウ勢力とは違い、言論で堂々と戦おうとしたのであった。
しかし、オナーウはバトソンを捕縛し、公開処刑とし、それと同時に皇帝を自らの息子に譲ったのであった。

CT1677、オナーウの息子カーキ・L・ウソメントは自らを『邪王』と名乗り、新SG帝国皇帝と成った。
カーキは、オナーウと同じく圧政を敷いた。

オナーウに比べて、無能であったカーキは、国民を牽引するほどのパワーはなく、オナーウやホーターが影で支えていた。
しかし、それをすべて自分の力だと勘違いしていたカーキは帝国巨大化を目指し、影で一大戦争を計画していた。

アルホグットの内政改革


ホーターに代わりSG統制本部統括長となったアルホグット・ゲットンは、SG統制本部を廃止し、新たにSG帝国政府を作ることを進言した。
アルホグットによる熱烈なアピールによって、カーキはこれを認め、アルホグットはこの後、内政改革を行っていくようになる。

アルホグットは帝国政府を基礎とした、大帝国を見据えた構造を作っていこうとしており、帝国海軍・帝国政府・皇帝局を作った。

CT17世紀の支中海世界


CT13世紀以降、江洲海からの技術的に先行していた移民族たちが支中海で大きな権力を握るようになり、その地盤は強固なものとなっていた。
特に彼らは同盟を結成して、互いの結束力を強めていた。同盟『£箱研』はその代表格として、支中海を取り巻く同盟の中でも最大規模であった。
そして、『£箱研』を中心として、『ЭMoon Drop』・『†EDF連合』・『Д僕たち高専生!』が海域を掌握していたのであった。
その中で単独で軍事行動に走れば、ペテン戦争のような戦争が再び起こり得ると思われた。

新型艦Unionの建造


CT1800、カーキは軍事力増強のため、駆逐艦Uro・UroⅡ5隻に追加して、潜水艦Union2隻の建造を命令した。
Unionの開発計画ではCT1500の建造開始を目指していたが、ペテン戦争により、300ターン程度の遅れが生じていた。
維持費が低めながら、強力な対艦装備をつけているUnionは海上制圧の要としてまず2隻が建造された。

そして、「紅の大移動*17」がやってくるのである。

アスジー戦争


「紅の大移動」に備えるため、カーキは戦争を計画。
T1842にアスキーアートへ宣戦布告、T1848に開戦の予定。
詳細はアスジー戦争(1848~1860)に記載されている。

アスジー戦争は紅の大移動によって中断される事になった。

紅の大移動


ついにその時がやってきた。
帝国は紅の大移動によって、琵威大海*18へ移動した。


琵威大海の波乱


琵威大海に移動した帝国は活動を活発化させる。
第2皇帝カーキ、第3皇帝グーファ、第4皇帝オウグテッド・マルクシスによる新SG帝国の全盛時代が築かれてゆく。

生存戦略同盟


BT*193917に帝国は生存戦略同盟なる軍事同盟を設立した。
設立はカーキが命じたもので、カーキがひそかに計画をしていた『M計画』の遂行のためであったとも言われている。

T3918に屋久島、T3919に硫黄島が参加し、琵威大海2位*20の同盟となった。ちなみに1位はノースポイントが結成した『青天の霹靂』である。
そののち、T3947にイージス島も参加し、2位に帰り咲いた*21

SG漁船団と貿易公社


CT1815(BT3871)に設立されたSG貿易公社とCT1834(BT3890)に設立されたSG漁船団は琵威大海での積極的な海外進出を行い、その規模を大きく拡大させた。
これらの海外進出によって、国内生産が上昇し、経済が豊かに成っていった。
しかしその一方で、各所での摩擦を生むことにもなった。

マロン危機


BT3952、Θ生存戦略同盟参加国である硫黄島に対して、当時ヘデクパウダーとの戦争に勝利し、国力を高めていたマロンが宣戦布告を通知。
すぐさまΘ生存戦略同盟緊急会議が開催され、BT3954に参加国他3島がマロンへ宣戦布告を通知。
その後、マロンが∽Tief Blauに加盟した事で同盟戦争への発展も一時は有り得たが、Θ生存戦略同盟緊急会議で平和的解決を模索することとなった。
結果、T3969に硫黄島、T3970にイージス島とSG帝国が、T3971に屋久島がマロンと停戦した。

ソニックによる海軍再編


帝国はペテン戦争以降、国力に見合った軍備を行うべしとして軍備拡大を推し進めていたが、それが行き過ぎ、アスジー戦争以後、急速に国力オーバーの軍備になってしまった。
SG漁船団・SG貿易公社の設立によって、維持費が拡大し、既に30%もオーバーしていた。さらにこれに建造中のUndo-1が加わる事で、50%オーバーすることが予測された。
これに対処すべく、帝国海軍維持改善部が設置され、部長にK・ソニックが任命される。

ソニックはまず、150%から125%までの改善を図り、15ある軍港のうち4つを払い下げし、さらに駆逐艦UroⅡ-1『フォルト』、潜水艦Union-2『オーツー』を破棄し、
それにさらに誘致活動・採掘基地建設などによって収入を拡大させることでこれを達成しようとした。

不在の乱


ソニックによる海軍再編が計画されていたころ、カーキは外遊に出発。
しかしその直後に渇翔島が帝国へ布告を行い、カーキは急遽戻る事になった。
詳細は不在の乱(3983~)に記載されている。

第3皇帝グーファの戴冠


BT4006、不在の乱(3983~)が続くなか、第2皇帝カーキは子グーファに皇帝の座を譲る。
第1皇帝オナーウの影響力縮小による国内分裂を防止するために、有能だと言われていたグーファに皇帝の座を譲ったのであった。

41世紀の琵威大海


BT4001から始まった41世紀の琵威大海は3つの大同盟『青天の霹靂』『Tief Blau』『生存戦略同盟』の思惑が交錯していた。
首位同盟『青天の霹靂』・2位同盟『Tief Blau』は意味深なメッセージを海域全体へ発信、3位同盟『生存戦略同盟』は各地での衝突が見られた。
また、この3同盟の間でもしばしば衝突が見られ、情勢は極めて不安定であった。

同色同盟の乱


帝国が不在の乱(3983~)で渇翔島との戦争を行っていた際、同盟『Tief Blau』のeden*およびマロンが渇翔島へ宣戦布告を行う。
この突然の宣戦布告にグーファは激怒し、「愚の介入だ」と罵倒し、一時は同盟戦争も已む無しとの考えを示していた。
しかし、eden*・マロンに動きが無く、グーファは渇翔島への援護作戦について後手対応とすることを決定し、帝国初の海外拠点の建設を開始した。

第2次ペテン戦争


BT4023に帝国はヘデクパウダーに宣戦を布告する。
安定した資源確保のためであったが、ノースポイントやハチャメチャが押し寄せて来るなどの介入に苦しめられた。
詳細は第2次ペテン戦争(4029~)に記載されている。

ノースポイントとの緊迫情勢


第2次ペテン戦争にノースポイントが介入し、『ラウンドハンマー作戦』なる計画を公表したことによって、帝国とノースポイントの間に大きな対立関係が生まれた。
互いに同盟盟主という立場であり、アスジー戦争(CT1848~CT1860)にて交戦経験があるという事もあり、もはや一発即発状態かと思われていた。

トーマス軍拡


第2次ペテン戦争(4029~)で大きく発展した帝国であったが軍備拡大がこれに追い付かない状況となっていた。
この状況に対し、対外諸国の軍拡に対抗するべきと考えていた、軽空母『スカイフォース』艦長トーマス・G・マロスは軍拡案を皇帝に提出した。
このような皇帝への直訴はそれまで前例がなく、驚かれたが、皇帝グーファはこれを受け取り、「トーマス軍拡」を推し進めるように指示した。

トーマスが提出した軍拡案では駆逐艦Uno2隻、軽空母Undo2隻、巨大戦艦i-station1隻の新造配備であった。
この結果、Uno-2,3、Undo-3,4、iSt-1の建造準備が開始されることになった。


現在の島状況 新SG帝国





  • ただの島開発をよくここまでお話にできるな...www -- ? 2011-05-24 (火) 06:03:58
  • 国旗がなんかこわいお... -- ? 2011-08-11 (木) 18:35:59
  • 紅の大移動wwいいセンスですな -- 2011-08-24 (水) 20:17:32
  • せいぞーん、せんりゃくー!! -- 2011-09-02 (金) 00:30:47


今日2
昨日0
総計13141



*1 支方とはC海域の事である。支中海とも。
*2 T1280頃
*3 CT1350頃
*4 CT1385決定、CT1431完了
*5 CT1410頃~
*6 事故死
*7 CT1455
*8 CT1459
*9 CT1468、Uro-1の完成と同時期
*10 CT1771
*11 CT1772
*12 CT1485
*13 CT1488
*14 CT1540
*15 CT1650初版
*16 CT1663初版
*17 第7回移籍
*18 B海域
*19 B海域のターン、A海域のターンと同一
*20 当時同盟は4つのみであった
*21 それまでは『青天の霹靂』『Tief Blau』に次ぐ第3位であった