三国志の紹介 のプレビュー
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この紹介の意味
この紹介は三国志を知らず、蜀の意味と蜀の武将が分からない人のためのものである。
蒼天既に死す黄天当に立つべし
何百年も続いた漢も様々な要因で衰退していき各地で不満がたまっていった。
そこで起こったたのが張角を教祖とする宗教団体の反乱だった。
その宗徒は目印に頭に黄色い布を巻いていたためこの反乱は黄布の乱と呼ばれた。
桃園の誓いと黄布の乱の終結
快進撃を続ける黄布賊に業を煮やした朝廷は各地で義勇兵を募った。
その看板を見ながら溜息をついていた青年こそが三国志の主人公である劉備であった。
そんな劉備を見た張飛が劉備に「義勇兵として共に戦わないか」と持ちかけた。
すっかり意気投合した二人が酒場で酒をのんでいると、
「俺はこれから義勇兵として戦いに行く」と話している男、関羽がいる。
その関羽も仲間に入れて酒を飲んでいると張飛が
「自分の家の裏に桃園があり、丁度見ごろになっている、そこで義兄弟の契りを交わさないか」
と提案した。三人はそれを承諾し、
「我々三人は生まれた場所、生まれた日は違うけれど、死ぬときは同じ日同じ時である事を願う」
と義兄弟の契りを結んだ。
また、そのあと商人にあって資金の援助をしてもらい、
関羽は青龍堰月刀、張飛は蛇矛、劉備は雌雄一対の双剣をつくる。(正史ではこれらの武器についての記述はないらしい)
その後、劉備率いる義勇軍や曹操など朝廷軍の活躍、張角の病死により、黄布の乱は終結するが、
この乱がきっかけで群雄割拠の世の中になっていく。
十常侍誅殺!!董卓実権を握る
そのころ朝廷では十常侍と呼ばれる宦官たちが実権を握っていて、暴政を振るっていた。
その十常侍を倒したのが賄賂などによって高い地位にいた董卓であった。
その董卓は一騎当千の猛将、呂布を手なずけて宮中の実権を握る。
そんな奴が善政を布くはずもなく、政治は乱れ、まさに董卓の黄金時代となっていた。
反董卓連合結成!快進撃始まる!!
そんな董卓の悪政を各地の群雄は黙っておらず、袁紹を盟主として反董卓連合が発足する。
反董卓連合はまず董卓側の要所、泗水関(漢字が違うが御勘弁を^^;)を狙う。
まず孫堅が攻め込んで敵の先鋒を倒す、そこで孫堅は食料の援助を頼むが、
味方の将の邪知によって援助がされなかった。
そのことによって士気が下がった孫堅軍は散々に打ち破られてしまった。
さらに進軍してくる華雄軍に連合軍は総崩れになり、本陣近くまで攻め込まれてしまう。
「誰かあの華雄を討ち取れる者はおらぬか!!」との曹操の声に
「拙者が参りましょう」と声が答える、そう、関羽である。
曹操は関羽に杯を渡し酒を飲ませる、関羽は半分ほど飲むと、
「あとは帰ってから頂きましょう」といって馬に乗り、颯爽と駆けていくと、
華雄の首を提げて帰ってきた。そのときまだ酒は温かいままだったという。