SG戦史読本・第2巻『はじまり』 のバックアップ(No.1)



SGペテン戦争第2次ペテン戦争SG戦史読本・第2巻について




先日、アスジー戦争について話したが、今日は、ジャガリ提督の初陣を話す事にしよう。


かつてジャガリはオナーウの元で古SG帝国を滅ぼし、新SG帝国を建国した裏の権力者として恐れられていた。

確かにジャガリはオナーウとともに古SG帝国滅亡に関与し、反乱軍を率いたとされている。
しかし、ジャガリが田舎武士で横暴なオナーウを敬愛したのは、古SG帝国の腐敗を正そうとして、挫折したオナーウを見たからである。

オナーウはタウ2世を暗殺したことや、出身が貧民であることなどから、かなり粗暴で悪人として書かれているが、ジャガリはそれを否定している。
オナーウが権力に負けて、挫折したことで、オナーウの中で何か決心し、その後は民衆のために動こうとしたとジャガリは考えていたようである。
しかし、オナーウは建国後、民衆に圧政を強いた。

ジャガリはこの事に心底心を痛めていたようであったが、その後、ジャガリはせめて自らは民衆を守る者となろうと奮起した。

ジャガリは民衆に安心を、と自ら設置されたばかりの海軍の長官に立候補し、長官・提督の役職に就いた。
ジャガリはその後、しばらくは海軍に配備された唯一のUno-1『コスモス』の中で暮らし、戦術戦略を学んだ。
そして、ジャガリの初陣は突然やってくるのである。


―pipipipi---!!
突然入った緊急連絡にジャガリは即座に反応した。


ヘデクパウダーより宣戦布告がなされました!
『コスモス』艦内のジャガリに知らされた内容はあまりに突発であった。

建造中だった『カトレア』に加え、さらに3隻の駆逐艦の建造を提案し、1隻が直ぐに建造開始された。

ジャガリはこのころ、ヘデクパウダーとどう戦争を展開するかを考えて、連日悩んでいたと言う。


ヘデクパウダーは開戦と同時に大規模な戦力を投入して、攻略を目論む。
ジャガリはそれに対して航空機をフル運用するなどして、徹底抗戦の策を取った。

その抗戦によって、ヘデクパウダーの艦隊を撤退させるに至ったが、その後、展開はさらに悪い方向へと向かってしまう。

―pipipi---!!
今度は、シベリア連邦とラウテルン共和国が布告してきたという。
ジャガリはこの時思わず笑ってしまったと言う。

 「圧倒的な差をさらに広げようというのか、面白い」


今度はもはや防衛するほか、策は無かった。

駆逐艦15隻にすら対抗できるほどの戦力をもたない帝国海軍。
それに加えて戦艦や潜水艦も投入してきた敵に対しては、もはや為す術はなしかと思われた。

しかし、ジャガリは諦めなかった。

イタビチ湾に『コスモス』ほか3隻の駆逐艦を結集させ、さらに2隻の駆逐艦の建造を進めることを指示した。
イタビチ湾入口で熾烈な攻撃を展開するも、その戦線は徐々に後退。
潜水艦が湾内に入り込み、もはや終わりかと思われた。

その時だった。

ジャガリは湾入り口を埋めた。

後にジャガリ籠城戦法と呼ばれるようになったこの籠城では、敵の攻撃から身を守りつつ、反撃の機会をうかがっていた。


しかし、この状況を逆に好機とみたシベリア連邦とラウテルン共和国は爆撃機を派遣してきた。

それまでの応戦に精いっぱいであった帝国は甚大な被害を受けた。

ジャガリはとても悔しがったという。
 「私の判断は、間違いであったかもしれない…」
そうした疑念が自身をまとった。


その後直ぐにこの戦争は終結したが、爆撃による被害で心を痛めたジャガリは自らの進退をも考えるようになった。


そして、帝国が自ら戦いに挑むこととなったアスジー戦争の直後、ジャガリは職を辞す。

自らの体の衰えを感じて、もう自分には指揮官として続けていく事は出来ないであろうと考えたからであると言われている。

ジャガリは辞職のち、しばらくは農業をして穏やかに暮らしたが、不在の乱の爆撃にて、自宅が全焼。
さらにこの時に受けた傷が元で、ジャガリは床に臥してしまう。
そして、皇帝カーキが"復讐"として開始した第2次ペテン戦争で帝国が爆撃を開始したとの報を知った翌日、ジャガリは息を引き取った。


ジャガリの葬式には皇帝カーキも参列したが、式は厳かに執り行われ、墓は第1地区中心部の「ノーウェイの森」に置かれた。


海軍の基礎を作ったジャガリの志は今も受け継がれている。



その後、ジャガリの弟子であったスペーシャが王冠聖戦にて海軍指揮を取り、奇跡ともいえる成果を残している。