翔艦戦争 のバックアップ(No.2)


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 翔艦戦争(しょうかんせんそう)とは、C海域/v02において、T1715からT1860(実際に戦っていたのはT1721)まで
仝渇翔島と軍艦島の間に行われた戦争である。

 戦争名は、二つの島名から一文字ずつを取って名付けられた。

交戦勢力

宣戦布告側被宣戦布告側
仝渇翔島軍艦島

戦争の流れ

発端

 この戦争は、仝渇翔島軍艦島の人口を目的として宣戦布告をしたのが始まりである。
当時、軍艦島は110万を越える人口を誇り、海域内でも20位前後のランキングについていたが、まだ島を開発したばかりで
軍備拡張が疎かになっていた。そこに仝渇翔島 は目をつけたのである。
ただこの戦争が起こる以前に、同盟仝clock民団の盟主でもある仝渇翔島は、軍艦島を同盟に誘う書き込みをしている。
この誘いを軍艦島は断る。理由ははっきりとはしていないが、仝渇翔島に対する返答において『なぜ自分を誘ったのか』という
答えが気に入らなかったらしい。ここにその資料が残されているので記す。

ターン1661:ドラ > 初めまして。失礼ですが、同盟のお誘いに伺いました。よろしければ加盟して頂きたいです (仝渇翔島)
ターン1667:ドラ > 特に深い意味はありませんが、順位的にも中堅国の貴国が将来強大になると感じました (仝渇翔島)

この件を断ったことが戦争の発端と考えるものも少なくないであろう。事実、軍艦島としてはその一件があって
今回の戦争に至ったと結論づけているが、仝渇翔島はこれを公式に否定している。

開戦、そして終戦


宣戦布告はT1709に行われる。記帳内容には一言。

ターン1709:ドラ > 人口目的で布告しました (仝渇翔島)

のみが残されている。お互いの胸中いかばかりか。
軍艦島は早速、停戦を打診する。軍備の揃っていない軍艦島はこれまでも幾度か宣戦布告をされてきたが、その度に
何とかして戦争を回避してきたのであるが、今回も同様に観光者通信での懐柔を試みた。
すると仝渇翔島は、妥協案として
『爆撃機を3機だけ送るので、その爆撃以降は攻撃しないこと。期間は帰還するまで。撃墜はしないで頂きたい』
といったものを提示してきた。軍艦島はこの提案に対して、特にリアクションは無かった。

そのような会話の最中に、開戦ターンのT1715を迎え、両者の戦いの火蓋は切って落とされたのである。

先に動いたのは仝渇翔島である。かねての約束通り、T1717にはフォートレス3機を軍艦島へと送り込んできた。
これに対しなんと軍艦島は、次のT1718にシュミット4機を迎撃の為に離陸させたのである!
そしてT1720にはフォートレス3機を全て撃墜し、軍艦島は一気に経験値を35も獲得した。
当然仝渇翔島は抗議を行う。

ターン1719:ドラ > 撃墜しないようにお願いしたはずですが (仝渇翔島)

これに対して軍艦島はこう言って抗議を一蹴した。
以下斜線部は全てT1720に仝渇翔島に対して、軍艦島のえるが書き込んだコメントである。

生憎ですが私は貴方の意見に賛成も、また反対もしていません。最終的に条件を絞って攻撃してきたのは貴方の方ですけれども。
そもそも私は今回の戦争は、同盟に入らなかった腹いせに布告してきたようにしか見えませんでしたが。そして貴方の条件を間に受け
ても私には何のメリットもありませんので、経験値の無い島なりにしっかりと抵抗させて頂きました。これ以上ない結果に満足ですw
まあ20万ぽっちの人口なんぞくれてやります。私は経験値の方が欲しかったので。35も有難うございます。美味しく頂きました♪
次回からは、上位島が下位島にちょっかいを出す際は、経験値レートも意識した方がいいと思いますよー。と多少のお節介をば(笑
さて私は目的達成したので開発落ちさせて頂きます。もう戦う気はありませんので停戦打診しておきます。宜しければお受け下さい。

軍艦島のこれらの騙し討ちのような行為に対して、仝渇翔島はT1720に準・遠征特化艦隊(金剛1、霞防空2、霞対地1)を
軍艦島へ派遣するが、軍艦島はT1721には地ならしによって開発期間入りを果たし、これによってこの戦争は終結する。
もっとも最終的に交戦国から外れたのは、T1860に行われた第15回海域間交流においてであるが。
この移籍によって仝渇翔島はB海域への上位移籍を果たしたことにより、公式的にこの戦争は終結した。
軍艦島は開発明けに仝渇翔島への奇襲を目論んでいたと噂されているが、真相は定かではない。

結果

結局、仝渇翔島は経験値を失い人口を獲得し、また軍艦島は人口を捨てて経験値を一気に獲得した戦争であった。
仝渇翔島はこの間に平和賞、騎士勲章、超繁栄賞を受賞している。また軍艦島も地ならしの影響で災難賞、超災難賞を受賞した。
人口約200,000人と経験値35。どちらの方が重要であるかは、その時々の島の状況にもよるであろう。
少なくとも島の成長発展を目指す仝渇翔島にとっては経験値よりも人口の方が必要であり、
人口は豊富だが経験値がほぼ0に近い軍艦島にとっては人口よりも経験値の方を欲していた、ということであろうか。

さて…この戦争をどちらの勝利として判断するかは、この戦史を読んだ後世の諸兄らに委ねることにしよう。


~また1ページ、箱庭の歴史に戦いが刻まれる~


関連項目

  • 昔のだけど折角書いたのでまとめてみました。何か変なトコあったら連絡お願いします。 -- える? 2011-10-02 (日) 20:05:10
  • 実は「戦いの火蓋が切って落とされた」は間違いです。正確には「戦いの火蓋が切られた」です -- 韋駄天? 2011-10-02 (日) 20:52:49
  • どうでもいいですがねw -- 韋駄天? 2011-10-02 (日) 20:53:14
  • 読みやすいです。自分主点の歴史的読み物としての戦史、私も書けるようになりたいです。 -- sizuka? 2011-10-02 (日) 22:12:33