三国志の紹介 のバックアップ(No.9)


この紹介の意味

 この紹介は三国志を知らず、蜀の意味と蜀の武将が分からない人のためのものである。

蒼天既に死す黄天当に立つべし

 何百年も続いた漢も様々な要因で衰退していき各地で不満がたまっていった。
 そこで起こったたのが張角を教祖とする宗教団体の反乱だった。
 その宗徒は目印に頭に黄色い布を巻いていたためこの反乱は黄布の乱と呼ばれた。

桃園の誓いと黄布の乱の終結

 快進撃を続ける黄布賊に業を煮やした朝廷は各地で義勇兵を募った。
 その看板を見ながら溜息をついていた青年こそが三国志の主人公である劉備であった。
 そんな劉備を見た張飛が劉備に「義勇兵として共に戦わないか」と持ちかけた。
 すっかり意気投合した二人が酒場で酒をのんでいると、
 「俺はこれから義勇兵として戦いに行く」と話している男、関羽がいる。
 その関羽も仲間に入れて酒を飲んでいると張飛が
 「自分の家の裏に桃園があり、丁度見ごろになっている、そこで義兄弟の契りを交わさないか」
 と提案した。三人はそれを承諾し、
 「我ら天に誓う生まれた日は違えど・・・死す刻は 同じ年 同じ月 同じ時を願わん」
 と義兄弟の契りを結んだ。
 また、そのあと商人にあって資金の援助をしてもらい、
 関羽は青龍堰月刀、張飛は蛇矛、劉備は雌雄一対の双剣をつくる。(正史ではこれらの武器についての記述はないらしい)
 その後、劉備率いる義勇軍や曹操など朝廷軍の活躍、張角の病死により、黄布の乱は終結するが、
 この乱がきっかけで群雄割拠の世の中になっていく。

十常侍誅殺!!董卓実権を握る

 そのころ朝廷では十常侍と呼ばれる宦官たちが実権を握っていて、暴政を振るっていた。
 その十常侍を倒したのが賄賂などによって高い地位にいた董卓であった。
 その董卓は一騎当千の猛将、呂布を手なずけて宮中の実権を握る。
 そんな奴が善政を布くはずもなく、政治は乱れ、まさに董卓の黄金時代となっていた。

反董卓連合結成!快進撃始まる!!

 そんな董卓の悪政を各地の群雄は黙っておらず、袁紹を盟主として反董卓連合が発足する。
 反董卓連合はまず董卓側の要所、泗水関(漢字が違うが御勘弁を^^;)を狙う。
 まず孫堅が攻め込んで敵の先鋒を倒す、そこで孫堅は食料の援助を頼むが、
 味方の将の邪知によって援助がされなかった。
 そのことによって士気が下がった孫堅軍は散々に打ち破られてしまった。
 さらに進軍してくる華雄軍に連合軍は総崩れになり、本陣近くまで攻め込まれてしまう。
 「誰かあの華雄を討ち取れる者はおらぬか!!」との曹操の声に
 「拙者が参りましょう」と声が答える、そう、関羽である。
 曹操は関羽に杯を渡し酒を飲ませる、関羽は半分ほど飲むと、
 「あとは帰ってから頂きましょう」といって馬に乗り、颯爽と駆けていくと、
 華雄の首を提げて帰ってきた。そのときまだ酒は温かいままだったという。

虎牢関攻撃!!呂布を退ける!!

 勢いに乗った連合軍は董卓側最大の要害、虎牢関を攻める。
 しかしそこを守るは猛将呂布、連合軍は苦戦を強いられる。
 そこで向かうは張飛である、張飛は呂布に一騎討ちを要求する、
 しかし流石に呂布は強く、数十合打ち合っても勝敗が決まらない。
 次に関羽が参戦するが、二人を相手にしてもまだ呂布は互角に打ち合う、
 そこで劉備が入ると流石の呂布も敵わないと逃げ出し、虎牢関に篭ってしまう。

董卓の暴挙とまらず!!いきなりの遷都。

 呂布でも敵わない連合軍に恐れをなした董卓はいきなり遷都を始める。
 多くの重臣が反対するも董卓は頑として聞かず、民と一緒に移動を始める。
 虎牢関の呂布もこっそり抜け出して共に移動する。
 連合軍はそれに気付かず、気付いたときには既に都はもぬけの空だった。
 そこで曹操は追撃を進言するが、袁紹はそれを退ける。
 そうして二人の間に亀裂が生じ、曹操は単独で追撃し、連合軍は解散となった。

王允の計!董卓、呂布に殺害される。

 董卓の横暴に耐え切れなくなった司徒の王允は一計を案じる。
 まず王允は呂布を呼び、自分の召使のチョウセンを見せた、呂布は美しいチョウセンに一目惚れする。
 すると王允は呂布にチョウセンを差し上げることを約束した。
 呂布は大喜びで帰ったが、しかし、その後王允は董卓を呼び、チョウセンをその場で差し出してしまう。
 当然呂布は激怒するが、王允は董卓に言われて仕方なく差し出したと言った。
 呂布はそれを信じ、董卓を嫌うようになる。董卓も呂布を疎ましく思うようになる。
 そこで王允は呂布をけしかけて董卓を殺させようとするが、
 流石の呂布も義父を殺すのは抵抗がある、しかし王允が、
 「あなたの姓は呂、あいつの姓は董、あいつに親子の情があったでしょうか?」
 というとコロッと騙されてとうとう呂布は董卓を殺す事に成功したのである。
 (しかし正史のほうではチョウセンは登場しないらしい・・・)
 しかしこの後いろいろあって呂布も曹操に戦争で負け、殺されてしまう。
 


  • おぉ有難い^^早速書き換えます -- たなかたろう 2008-05-24 (土) 20:38:24
  • ‘‘不求同年同月同日生只願同年同月同日死’’ -- 曹操? 2008-05-24 (土) 00:01:23
  • 我ら天に誓う生まれた日は違えど・・・死す刻は 同じ年 同じ月 同じ時を願わん -- 三国志大大台好き!? 2008-05-23 (金) 23:58:38
  • 演義の方で^^; -- たなかたろう 2008-05-15 (木) 07:46:53
  • 正史ですか?演義ですか? -- スカール? 2008-05-14 (水) 23:40:12
  • うろ覚えなので間違ってるかもしれませんが指摘してもらえればうれしいです。 -- たなかたろう 2008-05-14 (水) 21:50:03