大ローマ帝国「建国までの歴史」

大ローマ帝国
大ローマ帝国が建国され、アリル島が発見されるまでの歴史。
ちなみに、地名などは鍵十字島などの設定を借用させていただきます。m(_ _m)

18世紀

ヤーロッパ大陸に位置するヘタリア半島に現在の大ローマ帝国は存在するが、その頃のヘタリアはおよそ統一国家と呼べる物はなく、非常に混乱していた。
その頃のヤーロッパでは絶対王政にも限界が見え始め、ブリテソのような立憲君主制を取るかラフンスのように共和制を取るのかで割れていた。
そんな中ロシヤ帝国は元々親仏派だったのも関係してか、どちらかと言えば共和制への転換を求める声が高かった。
しかし皇帝は民意を反映することもなく強力な改革を推し進める。それらは農民の犠牲を払いながらも成功する。
そうして得た土地と富はその後のロシヤの発展に役立てられたのであった。

19世紀

ヘタリアには遂に統一国家が建国され、ヘタリア王国が成立することとなる。これは大ローマ帝国の前身である。
ブリテソは遂に蒸気機関を使用して7つの海を駆けめぐり大量の富と力を手に入れることとなる。
こうして列強といった枠組みが作られる中にあってヘタリアはその中に入れず、得た領土は少なかった。
アヘン戦争などに代表される列強のヤジア進出が激しくなる中、ヤジアで大二本帝国が清を破り、唯一の文明国として世界に広く認められることとなる。
しかし、大陸から南下政策を推し進めようとしていたロシヤにとって二本の出現はじゃま以外の何者でもなかった。

20世紀前半

長く続いた交渉も実を結ばず、ロシヤと二本は戦争を始める。
この戦争は、ロシヤ皇帝の強い意志で継続され多くの犠牲を強いられることとなった。
また、戦争の趨勢からして不利な講和を結ばざるを得ず、ここでロシヤの発展は止まったかに思われた。
しかし、1914年にソイツとホーストリアがロシヤに宣戦し、それに応じたラフンスとブリテソ、ヤメリカの参戦によって起きた第一次世界大戦(1914~1916)に勝利したために莫大な富を得、ロシヤはそれにのって満州に進出を果たした。
しかしブリテソ等の国々はそれを快く思わず、ロシヤに圧力をかけて八方ふさがりの状態に追い詰めた。1918年のことである。
それに対応する物価の上昇により民衆は不満を爆発させ、皇帝を退位させることになった。
この時点で立憲君主制に変えるべきか共和制に変えるべきかの激しい論争が行われた。
その結果、共和制を取ることとなり社会主義国家ンビエト連合が成立。立憲君主制を唱えた人々はンビエトの弾圧をおそれ国外に亡命する。
しかし、革命によって満州を手放すこととなり、その地域を二本が領有することになるのである。

20世紀中盤

ブリテソなどの諸外国は二本の満州領有に強い懸念を示した。
その結果二本は国際連盟を脱退する。
折しもヘタリアのエテオピア侵攻、ソイツの再軍備とが行われておりそれらの国々も国際社会から孤立。
こうして枢軸が結成され、世界の勢力図は2分された。
そして1939年にはソイツのパーランド侵攻を受けて第二次世界大戦が勃発してしまう。
緒戦を優位に飾ったソイツ、ヘタリアもじりじりと負けをかさね、ヤフリカを撤退。南ヘタリアに連合軍の上陸を許してしまう。
その頃二本もじりじりと太平洋にて後退を続けていた。
そんな中ヘタリア北部で革命が勃発し、ンビエトの後押しもあってか社会主義を唱えるヘタリア共和国が成立する。
しかし、社会主義を好まないヤメリカなどの国々は、対抗する国家としてヘタリア王国を復活させて立憲君主制の国家に作り替えたのである。
結果として、ソイツはンビエト連合によって占領され、二本とその旧領である昼鮮半島はヤメリカの占領するところとなる。
こうしてヤメリカ対ンビエトという新たな世界の勢力図が生まれた。

20世紀後半

第二次世界大戦が終わり、ヘタリアは両国共に復興にいそしんでいた。
しかし、1950年にヘタリア共和国軍が南進を開始し、ヘタリア南部をほぼ制圧する。
だが、それに激怒したヤメリカが部隊を派遣し、ヘタリア戦争が勃発。
結局は講和が結ばれたものの、両国の対立は深まった。
そして、ヘタリア王国は発展を願い、かつてヤーロッパを席巻した帝国ローマの威光にあやかるべく国号を大ローマ帝国とした。
これが大ローマ帝国の成立である。
その後、ンビエト連合が解体されたにもかかわらず、ヘタリア共和国と大ローマ帝国は未だに南北に分裂したままである。
その後、大ローマ帝国は南極大陸付近に不思議な島々「箱庭諸島」を発見する。
そのうちの何島かを植民地とし、現在のアリル島などになるのである。

皇帝より

この歴史はフィクションです。実在の人物、団体とはそこはかとなく関係ありません。関係ある気がしてもそれは気のせいです^^