九十九里戦争

 九十九里戦争(くじゅうくりせんそう)は、A海域/v02でT4056からT4075まで戦われた戦争。

 戦争名は、房総半島太平洋岸の九十九里浜から(交戦国名の「千葉」と「99」からの連想)。

交戦勢力

宣戦布告側被宣戦布告側
★(99)Я帝政千葉

戦争の流れ

開戦まで

 T4050、★(99)が経験値の獲得を目的として帝政千葉に宣戦布告。

房総沖海戦

 T4056の開戦とともに、★(99)は同盟国のDHW48に派遣中の戦艦『雹』、巨大戦艦『霰』の2隻を帝政千葉に派遣。帝政千葉の駆逐艦『千葉』『市原』との砲撃戦が行われた。しかし、戦艦の艦砲射撃では防衛施設による防御を破ることができず、また、T4059には帝政千葉が同盟国のЯ穢土に派遣中の巨大戦艦『下総』『上総』を帰還し、砲撃戦に加わらせて猛攻撃を行ったため、T4068に『霰』が、T4071には『雹』が修理のため★(99)に帰還した。

軍事施設破壊工作

 房総沖海戦が始まってすぐ、「堅くて手が出ない」と考えた★(99)は、T4058に工作艇4隻を帝政千葉に派遣し、海上防衛施設の破壊を目指した。そんな事態に、帝政千葉は海外派遣中の巨大戦艦『下総』『上総』を急遽帰還し、戦闘攻撃機1機を発進させ対処しようとしたが間に合わず、軍港1港と海上防衛施設1基が★(99)の工作艇によって破壊された(第一次破壊工作)。T4066にも工作艇4隻が帝政千葉に派遣され、海上防衛施設1基が破壊された(第二次破壊工作)。

 ところが、第二次破壊工作が終了したT4071、★(99)は自島観光者通信にて、工作艇を用いた破壊工作の停止を示唆し、以降T4075に停戦するまで、帝政千葉に対する破壊工作は行われなかった。

 この二度に亘る破壊工作で、★(99)は軍港1港と海上防衛施設2基の破壊に成功したが、派遣した工作艇8隻のうち6隻が帝政千葉の攻撃や機雷に接触することで沈没(その内1隻は軍港に展開後、建造中に帝政千葉の戦闘攻撃機の攻撃を受け壊滅)、護衛の戦闘機も12機中2機が撃墜されるなどの損害を出した。さらに、帝政千葉はT4062には第一次破壊工作で破壊された海上防衛施設の跡を埋め立て防衛施設を建設、T4072には軍港の再建を完了しており、加えて、第二次破壊工作終了から僅か4T後のT4075には戦争そのものが終結している。

 ★(99)はこの破壊工作を戦果に繋げることができず、帝政千葉は軍事施設の再建と来るべき第三次、第四次の破壊工作に備えての機雷敷設とで莫大な出費を強いられるなど、双方共に戦果より損害のほうが大きい作戦だった。

房総沖航空戦

 「破壊工作停止」発言の翌T4072、★(99)が戦闘機8機を帝政千葉に派遣し、敵工作艇の襲来を警戒して領空を哨戒中の戦闘攻撃機5機との航空戦が発生した。T4075に★(99)の戦闘機が帰投するまでの3Tの間戦われ、★(99)は戦闘機2機、帝政千葉は戦闘攻撃機1機を喪失した。

終戦

 互いに大した戦果を挙げられないまま、T4074に帝政千葉★(99)の観光者通信にて停戦を提案し、★(99)もそれに同意した。翌T4075に両国の間で停戦合意が行われてこの戦争は終結した。

 結局、★(99)は戦争目的の経験値をほとんど獲得できずに、艦隊派遣と破壊工作で多額の無駄な出費をする形となった。守備に徹した帝政千葉も、破壊工作への対応などで巨額の資金を戦費に費やす破目になった。

関連項目


  • 両軍の作戦行動等はノートに記載しています。 -- 千葉綺 2011-09-26 (月) 04:22:11