被爆者討伐戦争 のバックアップ(No.1)
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- 1 (2011-08-10 (水) 22:35:49)
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- 13 (2011-08-13 (土) 23:50:12)
- 14 (2011-08-14 (日) 22:02:49)
- 15 (2017-07-05 (水) 01:21:00)
箱庭戦史
この戦争はnavy03 A海域の戦争?で起こった戦争である。
戦争期間
参戦国
関西軍側(放射能非汚染地帯) | 関東軍側(放射能汚染地帯) |
オーツア連邦 | Σプロシア連合 |
Σオーレリア連邦共和国 | |
ΣMedecins Sans Navy | |
⇔反政府軍本部基地 |
開戦までの経緯
原発事故に端を発した東日本大放射能汚染により、関東はチェルノブイリ第三区分危険地帯レベルに汚染されてしまった。そして、汚染地帯に住む関東人は、内部被ばくにより、体が蝕まれる恐怖におびえながら、汚染していない関西にコンプレックスを抱いている。そういったことから、島主が関西人のオーツア連邦は、関東在住の被爆者4名に戦争を吹っ掛けられることになった。
戦争の流れ
開戦
(関東軍の攻撃)
3720T頃関東軍がオーツア連邦にフォートレス、大和、霞、零式、一式などを大量に派遣。しかし、凄まじい反撃にあい、大量の霞、一式、零式が撃沈されてしまった。そのようなことから、関東軍は一時撤退を余儀なくされた。
(関西軍の反撃と関東軍の再攻撃)
3760T頃、オーツア連邦からプロシアに数隻の大和が派遣された。プロシアの定置網や大都市を破壊し、人口40万人以上を奪うことに成功。しかし、関東軍はオーツアの大和がいないすきを狙い、大量の大和で1か所集中攻撃を開始、さすがのオーツア連邦の防衛ラインも崩れ、一部都市破壊、人口40万人程度がオーレリア連邦に奪われる。
書き掛けです
- 正しい経緯ありがとうございます.
- さすが大平和.1vs3なのに. -- 2011-08-10 (水) 02:39:53
- 大平和気持ち悪いな -- 2011-08-10 (水) 09:05:57
- 関西の人が可哀想なので変えときました。 -- 2011-08-10 (水) 09:23:57