SG のバックアップ(No.7)


SGとは、C海域(v02)に存在する島である。
島主はστ(シグマ-タウ)。


島の発見

SGはA海域におけるT3281(以後AT~)、C海域におけるT1225(以後CT~)、現実世界における5月18日(以後RT~)に発見された。

発見はシグマ・Σ・メレトス(以後シグマ)、タウ・Τ・フリュー(以後タウ)の2名によるものである。
シグマ、タウ両者ともに国際先進国派遣団(略称:PIIE)の所属員であり、新しい開発拠点となりうる島を探索中にSGを発見した。

シグマ、タウの手記である「支方見聞録」*1によると、以下のように記されている。
発見当初、SGと名付けたこの島は面積約3300万坪、森林約400万坪、平地1800万坪と開拓・生活に適した環境であった。
我々はすぐさま開発を開始するためにPIIEへ連絡を行い、農業を開始した。
インタウンは我々の事をあたたく迎え入れてくれた。その数は1000人程度と思われる。
そのため我々は1300人の移民を行ったが、それでもインタウンとの共存を目指したのである。

インタウンとはSG原住民の事であり、非常に温和な民族である。

原住民の生活


原住民、インタウンらの生活は彼らの信仰しているイヘスヤ教の影響が強い。
イヘスヤ教は唯一神、大地の神グロウを信じ、自然を大事にしてきた宗教であった。
そのため、インタウンの生活も自然共生の生活スタイルであり、それがSGの自然を守ってきたと考えられている。

CT13世紀の支中海世界


SGが発見された、CT13世紀/AT33世紀の支中海世界は、江洲海の島々の民族が江洲海の地殻変動による島の沈没の危機を知り、支中海に新天地を求め、優秀な人材を引き連れて支中海の島を開拓し始めていた。
そんな中、一部で元江洲海民族による同盟の組織がなされていくものの、それでも支中海で大きな勢力を築いていたのが同盟『Ω花守』であった。
CT12世紀初め、支中海唯一の軍事同盟であった『†赤衛隊Ⅲ』とそれに警戒をしていた『Ω花守』の前身である『♪Union.』『〆混沌時空』との間に戦争が勃発する。(参考→自設自壊戦争(1112~1160))
この戦争によって、『†赤衛隊Ⅲ』は消滅し、支中海において目立つ軍事行動は忌避されるようになる。そのために、CT13世紀/AT33世紀は"超平和の1世紀"と呼ばれるようになった。

国家の形成


島の発見から7Tが経過したころから、SG内での国家形成の動きが出始める。
それまでは各集落(サークル)を形成し、それぞれが独立しているという生活形態を持っていたインタウンの中に移住民が入りこむという形であったが、インタウンよりも移住民が多くなってきたことにより、それまでのインタウン主体のサークルでは移住民の不満がたまり、移住民らの要望を受けて、シグマ・タウによるSG全土にわたる国家形成が進められることになった。しかしながら、シグマとタウの目指した国家形態は大きく異なっており、シグマは共和国制を、タウは帝国制を支持し、この事ををめぐって大きな混乱が起こった。(二対政治の始まり)
この混乱の中で、インタウンらの多くは現状の民主制(サークル内における)を支持し、シグマ・タウ両者や移住民との間に大きな軋轢を生むことになる。
しかし、インタウンでありながらも青年ジョン・バラウは共和制を支持し、ジョンはインタウンと移住民の仲介役として大きな役割を果たす。ジョンの活動によって、インタウンらの半分程度までが共和制を支持する結果になった。
これにより一気に支持を強めたシグマとは反対にタウはPIIEの中でも孤立し始めていた。そのためタウはやむなく帝政支持を諦め、共和制を支持するようになり、SGは共和制で全土統一、SG総会が設置されることになった。

SG総会とニ対政治


SG内部の共和制確立のためにまず設置されたのが、SG総会である。
SG総会はインタウンと移住民が約半分ずつ出席し、SG内部の開発などについて話し合うためのもので、政治に関してはまだ整備はなされてはいなかった。
しかし、SG総会でも特に大きな影響力を持っていたSG最大のサークル『アベネ』の長であるマルサ・オウバとSG移住民代表であるタウによる開発に関する意見の相違などが度々起こり、開発は遅々として進まず、マルサ、タウは分かりあう事なく、SG総会はマルサ派とタウ派で二分されることになり、ここからニ対政治が始まることになる。

国家確立


南北分裂


共和制という形で一時期はSG統一がなされたものの、ニ対政治によってSG総会は分裂し、CT1236には共和制である南SG(マルサ主導)と帝制である北SG(タウ帝)に分裂してしまう。
南北SG間での抗争(南北戦争)は長く続き、CT1255に南SGの共和制が崩壊し、ニ対政治は終わりを告げる。

古SG帝国


南北戦争に勝利したタウはマルサを捕まえ、見せしめのために公開処刑した。(タウ独裁政治
マルサ側であったシグマはタウの追手から逃げ、そののち消息が分からなくなった。
マルサ、シグマの二人が居なくなった事でタウは独裁政治をさらに強めていくことになる。

タウ帝の野望


タウは帝国の強大化を求めて、島の埋め立てや海軍の増強を推し進める事にした。(タウの国土改革
それまでSGにはPIIEからの支援などが貯めこまれており、タウ帝はそれを利用して、PIIEに頼らない小国家の建設を目指す。

海軍の設置


タウはCT1261に最初の国営軍港を建設し、CT1266に完成させた。
完成後直ぐに、タウは工作艇を3隻建造した。
タウはこの工作艇3隻を利用して、島沖合での軍港建設および開発を進めていくのであった。












  • ただの島開発をよくここまでお話にできるな...www -- ? 2011-05-24 (火) 06:03:58


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*1 支方とはC海域の事である。支中海とも。