津軽一国 のバックアップ(No.25)
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- 津軽一国 へ行く。
- 1 (2010-03-15 (月) 16:51:49)
- 2 (2010-03-24 (水) 14:38:50)
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- 14 (2010-04-16 (金) 18:50:47)
- 15 (2010-04-30 (金) 18:24:13)
- 16 (2010-05-02 (日) 23:38:04)
- 17 (2010-05-03 (月) 09:33:56)
- 18 (2010-05-04 (火) 13:23:34)
- 19 (2010-05-07 (金) 20:53:27)
- 20 (2010-06-12 (土) 23:56:57)
- 21 (2010-07-24 (土) 20:59:38)
- 22 (2010-08-21 (土) 16:24:02)
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- 24 (2010-08-22 (日) 20:19:18)
- 25 (2010-08-23 (月) 11:06:49)
- 26 (2010-08-23 (月) 18:59:43)
- 27 (2010-08-28 (土) 00:53:23)
- 28 (2010-08-29 (日) 00:06:21)
- 29 (2010-09-04 (土) 23:50:22)
- 30 (2010-10-01 (金) 18:23:44)
- 31 (2010-10-16 (土) 08:16:02)
- 32 (2010-12-04 (土) 21:59:59)
あなたは、本日1人目(昨日は1人)、通算1655人目の来訪者です。
首都弘前にある政府弘前城。 hanazeが公務の間に撮影した。
津軽一国紹介
ここでは津軽国のPRを目的とした、津軽国政府によって作られたパンフレットより抜粋して津軽一国の紹介をする。このパンフレットは津軽国内の公共機関にて無料配布している。
地理
島国津軽の浮かぶ海は、あなたのこころの中、その極東の、夢も凍れる寒冷の地である。
夏は短く、冬は長い。1年の半分近く、地面は雪に覆われる。
島は西部の津軽をはじめ、下北、三八などの地域に分けられ、それぞれ小都市が散らばっている。
市街地は旧SFCの影響により、城壁で囲まれた都市国家の様になっているが、それ以外の土地は農耕地・草原・森林・低高度の山岳地帯が入り混じり、薪ストーブの煙突が見える集落が散在している。
津軽地域の都市黒石の街並。 昔ながらの木造のアーケードが歩行者を風雪から守る。
国民性
約150年前に旧FSC人民が漂着してから今日に至るまでに土着の津軽人と混血し、その国民性も凡そ津軽人に近くなっている。
例えば雪国らしく余り言葉を口にしない。
喋っても寒く、できるだけ口を開きたくないため、母音が空気の吐き出す量の少ない「う」になりやすくなる。サ行は殆ど「す・す・す・す・す」になる、といった具合だ。
これは長い時間の中で培われた津軽弁の一例である。
しかしながら、津軽人の秘めたるHeartは熱い。
割に好戦的で、義に篤く、おせっかい焼きで、近所付き合いも家族ぐるみである。
人の子もきちんと叱りつけ、おすそ分けのおすそ分けなどは日常茶飯事である。
hanazeが岩木山へ参拝した時に会った島民。 現在は国外に籍を置いているが、久方ぶりに帰郷しているとの事。 この後近くに温泉があるから、と案内してくれた。
宗教
宗教は神道・仏教・土着信仰であるが、基本的に全部習合している。
津軽一国最大の宗派、岩木山信仰。 尤もこの社も、1200年前に南方から侵略された際、その侵攻軍が建てたものが起源である。 しかし山への土着信仰は、それ以前より、脈々と受け継がれている。
文化
土着の津軽民族は歴史あるものを尊び、民俗的なものが多く残っている。
民間信仰、村々で子へ孫へと語り継がれている数多の民話民謡、村々の寺社で古くから行われている祭りの数々。
海山の産物が豊富で食文化も豊か、また発酵・醸造技術が高く町々には各々特産の清酒があり、毎年首都弘前でその味を競い合う品評会が行われている。
青森地域の中核都市青森で行われるねぶた祭り。 夏に人々は踊り狂う。
産業
元々は産出される馬を利用した交易が盛んであり、狩猟採集の生活が近隣の民族に比べ、長く続いたことから農業はあまり盛んでなかった。
特に寒冷な気候のため5年に1度は不作に悩まされていたというが、最近は旧FSCの人々の技術で改善されオートメ化も進んでいる。
また、沿岸の町々には伝統的に漁業が盛んなものがあり、特にまぐろ漁が有名。
水揚げされた魚介類は諸外国にこぞって輸入され、古くは主要産業でもあった。
下北地域で水揚げされる鮪。 その味を求めて国外からも競りに来る業者も見られる。
歴史
A海域以前
~1200年前 | 各部族に分かれて自立、狩猟採集の生活 |
約1200年前 | 他国によって占領され、農耕文化が伝播される。 |
約750年前 | 津軽反乱、独立を勝ち取る。 |
~ 400年前 | 各村々に分かれて自立。 |
約400年前 | 弘前村による津軽国統一。 |
約150年前 | 旧FSC人民漂着、統一政権崩壊、共和制移行 |
遠く昔、津軽は各部族に分かれて馬に乗り、弓を携え狩猟採集の生活をしていたが、約1200年前に南方から侵略を受け占領され、その影響下におかれていた。
占領後も度々反乱が起きていたが、約750年前に起きた反乱は特に大きなものであり、遂に他民族を島から駆逐し独立を勝ち取った。
その後村々は自立し、お互い平和な生活を送っていたが、農業技術等の発達・貨幣の普及・流通の拡大から利権を得るため互いに争い、約400年前に現在の首都のある弘前村が中心となって津軽一国を統一した。
この時執政の中心とするべく築城された弘前城は現在も政府として利用されている。
弘前村を中心とした統一政権だったが、寒冷な気候のため不安定な農業生産に度々足元を揺るがされており、段々と国民の信頼を失い始めており、約150年前に旧Federation of Southern Cross(略称FSC)からの人民がどこからともなく漂着した事をきっかけに共和制へ移行した。そしてこないだ、津軽の人々と共に新たに津軽一国として国を旗揚げしA海域に乗り込んだ。
A海域~
戦争履歴 | |||||
---|---|---|---|---|---|
ターン | 戦争名 | 布告側 | 被布告側 | 勝敗 | 概要 |
820T頃~ | 海域覇権戦争 | ∇WARDOG | 〆OUTER HAVEN | 勝利 | ∇WARDOG側として参戦。南アフリカ帝国上空で初戦闘。 |
???T頃 | vs謎の島 | 津軽一国 | 謎の島 | 停戦 | 人口目的で宣戦布告。しかし途中で食糧が付き、島民が暴動を起こして農場壊滅。大和隻他多数艦艇破棄、及び6兆円余、食糧2000万t余の支援を受けて危機を脱した。 |
???T頃 | vsノイッサルプス自由共和国 | ノイッサルプス自由共和国 | 津軽一国、大日本皇国 | 敗北 | ノイッサルプス自由共和国の宣戦布告に対し、大日本皇国を味方に引き入れ、メリダ島より4兆円の傭兵を雇うも完敗。 |
1488T~ | vs黒りんご | 津軽一国 | 黒りんご | 停戦 | これといった理由はない。 |
覚えているものだけ。ほかにもたくさん戦争してます。
政治・社会
政治スライダー
民主■----------独裁 |
左----------■右 |
開放------■----閉鎖 |
自由経済--■--------統制経済 |
介入主義-----■-----孤立主義 |
二次■--------■三次 |
政治体系
旧FSC人民が漂着し、彼らの助言により共和制政治へ移行してからは、各都市から選出された議員によって組織される津軽国議会が中心となって政治を執っている。
この議員選出にあたり先ず、津軽一国は4つの郡に分けられる。
中西部の津軽郡、中部の青森郡、東部の下北郡、南東部の三八郡である。
各郡の下に各都市が所属し、各都市で2名ずつ選任された議員により、津軽国議会が組織される。政党、その他派閥は組織されていない。
現在国家の代表は花脊(hanaze)である。
海軍戦力
津軽一国の軍隊は国内の徴兵、及び国外からの傭兵により組織される。
4隊が編成され、各郡から名前を取り、津軽隊・青森隊・下北隊・三八隊が編成される。
これまでの戦果と保有艦艇
※保有数の背景無色は、レベル不足の為建造不可の艦艇。
津軽隊・青森隊
戦闘艦で構成される主力艦隊。常時配備される。
津軽隊には総旗艦『弘前』以下に空母、潜水艦、対潜駆逐艦が11隻所属。
青森隊に旗艦『青森』以下駆逐艦4隻が所属している。
津軽隊 | 青森隊 | ||||
艦名 | 状態 | 画像 | 艦名 | 状態 | 画像 |
旗艦「弘前」 | 就航中 | ![]() | 旗艦「青森」 | 就航中 | ![]() |
「五所川原」 | 建造中 | ![]() | 「平内」 | 就航中 | ![]() |
「岩木」 | 就航中 | ![]() | 「野辺地」 | 就航中 | ![]() |
「黒石」 | 就航中 | ![]() | 「蟹田」 | 就航中 | ![]() |
「金木」 | 就航中 | ![]() | 「今別」 | 空籍 | ![]() |
「十三」 | 就航中 | ![]() | 「平館」 | 空籍 | ![]() |
「車力」 | 就航中 | ![]() | |||
「小泊」 | 就航中 | ![]() | |||
「木造」 | 就航中 | ![]() | |||
「鰺ヶ沢」 | 就航中 | ![]() | |||
「深浦」 | 就航中 | ![]() |
現在11隻の戦闘艦を保有。
下北隊・三八隊
下北隊は航空機が所属する。
三八隊は軍籍を兼ね持つ民間の漁船、及び対獣艦艇が所属する。現在計8隻。
いのらについて
いのらは諸国でも神聖な生物、或いは其の愛らしさを以って島の観光資源ともされているが、津軽国もこの例に洩れず国内ではいのらの人気は高く、特に国の怪獣として制定されている。
いのらが国内に出現すると海軍が撮影したリアルタイムの動画をインターネット上で楽しむことができる。
しかし出現から数日後には本格的な退治が始まり、退治されたいのらの肉は各地の市場に卸され、国民の食卓に並ぶ。
また退治されたいのらを生態研究することは禁じられている。古く海神として祀られていた神格を保つ為で、現在も民間信仰としていのらを祀っているところがある。
参考ペエジ
JUMP!!さん 【夢】のほほん地域さん
参考というかパクr( させて頂きました。無断使用すみません有難うございますうふふ
画像について
@大見出し『津軽一国紹介』で使用されている画像は、全てhanaze本人の撮影、又は画像共有サイト『フォト蔵』にて画像使用許可が出ていたものを使用しています。
@国旗右下部の家紋『抱き牡丹』は <http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Japanese_crest_Tugaru_Botann.svg?uselang=ja>
(著者:mukai<http://commons.wikimedia.org/wiki/User:Mukai>)より引用しました。
とりあえずこんなものかしら。
そのうち書き足します。それではどうぞよろしくお願いします。
島の方にでもいいので、話しかけてくださると飛び上がって喜びます。