SG戦史読本・第1巻『時には昔話を』


SGアスジー戦争SG戦史読本・第1巻について




奇怪なり。

今となっては、過ぎ去った昔の事なぞ、既に忘れてしまった。

しかし、その因果は今でも続いている。

これ奇怪なり。



アスジー戦争、と名付けられたのはただ単にむこうがアスキーアートであり、こちらがSGであったからであろう。
しかし、この戦争はヘデジー戦争と成る可能性もあったのだ。


我が国に残る歴史書『靜書』や『総伝』などには綴られてはいない。
それは葬られた真実である。
いま亡きジャガリに追悼の意を示して、少しだけ語る事としよう。


ジャガリは優秀な海軍指揮官であった。
その成果は計り知れない。
ペテン戦争の際には、我が国の特殊な島形を利用した籠城作戦で注目を浴びた。
決して、求める事はしなかったが、ただただ堅実であった。


皇帝カーキはペテン戦争において我が国へ攻めた島に恨みを持っていた。
その復讐は敬愛すべき父オナーウの遺志であった。
皇帝カーキはこれに忠実で、ヘデクパウダーやラウテルン共和国、シベリア連邦への復讐に燃えていという。


そもそもの事の発端は『靜書』に書かれているようにカーキがヘデクパウダーとアスキーアートが戦争中だったのを知ったからではない。
カーキは白月島に対して戦争を画策していた途中、白月島がヘデクパウダーに敵対姿勢を示した事が、アスキーアートへの布告の原因となった。

話はややこしいが、アスキーアートが白月島と組んでヘデクパウダーを潰そうと、そう皇帝カーキには映ったのだろう。
復讐は自らの手で。 そう考えていた皇帝カーキはこれを阻止しようと思ったのか。

しかし、皇帝カーキはアスキーアートと結託してヘデクパウダーを攻めるのも良いとも考えていたようだ。
実際に皇帝カーキはアスキーアートに宣戦布告する直前まで、アスキーアートにはヘデクパウダーを攻めると、ヘデクパウダーにはアスキーアートを攻めると、極秘で話していたそうだ。


さらに驚く事に、アスキーアートは我が国の爆撃機で爆撃された際にも、我が国を信じていたという。
『爆撃は事故ですよね?』、と。

皇帝カーキはその時に有名な『ただ信じる事は悲しき。』と言ったとされている。


しかし、ちょうどそのころ邪魔が入る事になった。

ノースポイントである。

この島との因縁はここから始まる事となるのだが、我が国へノースポイントが客船を送るつもりが何を間違えたのか、対獣艇を送ってきたのである。
ノースポイントの謎はここからであった。対獣艇へ我が海軍が攻撃し、撃沈したことに怒ったのか、宣戦布告を行ったのである。

ノースポイントはこの時、ヘデクパウダーへ『こちらの目標は制裁対象のSGの撃破だけです。』と送ったというが、我が国は上記のように、何もしては居ないのである。
ただ、ノースポイントが勝手に艦艇を送り、勝手に間違いを犯し、勝手に制裁対象としようとした。
皇帝カーキは憤怒した。

『悪を滅ぼせ』

カーキはこう叫び、ジャガリにノースポイント撃退を命じた。


しかし、残念なことに、ジャガリもこれはどうしようも無かった。
海軍の主力であった航空機はアスキーアートの空の上。
爆撃の最中である。


ジャガリは自らの日記にこう残している。


 ふと、ペテン戦争の頃を思い出した。
 空を見上げれば敵機が飛び、海を見つめれば敵の戦艦が浮かぶ。
 今はすでに私もあの頃とは違い、衰えてしまった。


名将と言われたジャガリであったが、体は衰え、既に自信を喪失していた。

ノースポイントが破壊作戦を取って、軍港のいくつかを破壊されてしまった時、ジャガリは嘆いたという。

『力さえあれば、守れるというのに』


後に、ジャガリは皇帝カーキに『軍港を失うのと、艦艇を失うのではどちらが損失が大きいか?』と問われた。
ジャガリは沈黙してしまったという。


紅の大移動によってアスジー戦争は途中で幕を降ろした。



琵威大海に移動した後の我が国の成長はめざましかった。
『生存戦略同盟』を結成し、…っと、今日はこれぐらいにしておこうか。


今となっては奇怪なり。