軍艦島 歴代皇の記録

軍艦島

ここは軍艦島の歴代の皇の記録を綴った頁である。


皇名読み(和訓/主訓)神名読み
第壱代神義皇かみよしおう/じんぎおう安騎都能獅神皇あきつのししのみこと
第弐代崇義皇たかよしおう/すうぎおう天地洲海流皇あめつちすめるのみこと
第参代光義皇みつよしおう/こうぎおう葦雁菩牟羅尊いかりほむらのみこと
第肆代法義皇のりよしおう/ほうぎおう吉備美多鬼廼豆民きびのみたまのつみ
第伍代國義皇くによしおう/こくぎおう千番能邇邇芸皇ちほのににぎのみこと
第陸代武義皇たけよしおう/ぶぎおう夜咫香雅皇やたかがのみこと
第漆代仁義皇ひとよしおう/じんぎおう八千矛穴牟遅皇やちほこなむぢのみこと
第捌代明義皇あけよしおう/みょうぎおう日霧香始帆土皇ひむかしほつちのみこと
第玖代宮義皇みやよしおう/きゅうぎおう磐菜不二佐久夜比売いわなふじさくやのひめ
第拾代智義皇ともよしおう/ちぎおう遠呂叢鳩知皇おろむらくちのみこと
第拾壱代信義皇のぶよしおう/しんぎおう
第拾弐代東義皇あいよしおう/とうぎおう
第拾参代教義皇のりよしおう/きょうぎおう
第拾肆代剛義皇たけよしおう/ごうぎおう
第拾伍代真義皇さなよしおう/しんぎおう
第拾陸代宙義皇そらよしおう/ちゅうぎおう
第拾漆代素義皇もとよしおう/そぎおう
第拾捌代虎義皇とらよしおう/こぎおう
第拾玖代浪義皇なみよしおう/ろうぎおう
第廿代景義皇かげよしおう/けいぎおう
第廿壱代大義皇ひろよしおう/たいぎおう
第廿弐代隆義皇たかよしおう/りゅうぎおう


表の説明
・代・・・初代皇から現在の皇である第廿弐代皇までを記してある。
ちなみに知らない人の為に書いておくが、
壱(1)弐(2)参(3)肆(4)伍(5)陸(6)漆(7)捌(8)玖(9)拾(10)廿(20)
である。これらの漢数字のことを『大字(だいじ)』と言う。まあ日本人なら知っておいて欲しいが。
http://www.akatsukinishisu.net/kanji/kansuji.html
(リンク先とか貼ったらまずいですかね?まずかったら消しておきますが)
・皇名・・・皇の名には伝統的に『義』の一文字を入れるのが古来からのならわしである。
このように名前に親からの漢字を受け継ぐという行為は古くからある貴族の名にも見られる。
・読み・・・皇の名の読みには訓読みと音読みの二種類があり、それぞれの読みを
『和訓読み』『主訓読み』という。これは口語と文語の違いと同様に、家臣などが日常で
発する言葉は通常和訓読みで、手紙や文書、あるいは公式の場での発言などにおいては
主訓読みが使われるのが決まりである。
・神名・・・皇は生まれた時には幼名を名乗るが、成人後は貴族としての名を、そして
皇となってからは皇名と共に神名を授かる。これは、皇とはこの世に存在する神の
一員であり、そのことを表す為の名である。主に皇が神として行う儀式の際に使われる。

歴代皇の説明

第壱代 神義皇/安騎都能獅神皇
      古くから皇宮に伝わる書物『御御尊皇列伝』(おみそんのうれつでん)によると、
      神から生まれた子とされる。ここから皇の支配の正当性が謳われているが、
      実際には記録が乏しいためよく分かっていないのが現状である。
      だが他の土地の記録によれば当時、天孫(アマ)族の長がこの地に辿り着いたという
      記録が残っており、この長が神義皇のことだとする説が最も有力である。
      神義皇は武芸に秀でた皇であり、国を建てて暫くは政治を行ったが、長兄である
      崇義皇が成人(元服)すると共に隠居し、武者修行の旅へ赴くべく皇宮を去った。

第弐代 崇義皇/天地洲海流皇



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