臨時移籍設置によせて

はじめに

臨時移籍には、色々な不満が付きまとう事とも思います。
しかし、それでも明日の闘争の発展に向け、少しでも試行と前進を。少しでもそういう推進への理解の獲得を。
そんな考えもあり、ここでは、臨時移籍の設置経緯や設置趣旨などを述べていこうと思います。

定期移籍への不満

最近、あずかりで移籍Ptを操作する。Sにいても先が見えないので最初からやり直す。という話を耳にします。
あずかりで移籍Ptが換算されないのはバグなので、移籍担当から要請があれば修正は可能ですし、対策も実施されています。
しかし、少なくともそういう事をする人は、現状の移籍システムには満足をしていないということです。
そうやって考えていくと、定期移籍はさまざまな欠点を抱えていることがわかります。
たとえば、最も大きな欠点としては、移籍のスパンが長すぎて、急変する情勢に即す事ができない事ではないでしょうか。

定期移籍が悪いのではない

しかし、移籍のスパンが長い事には、逆に良い面もあると思います。
たとえば、新しい場で、人間関係を十分に構築するゆとりが生ずる。というのは、移籍スパンが長いからこそ出来る事です。
そもそも500ターン程度に1度というのは、チャット等で意見聴取した結果で、この期間に関して大きな反発は寄せられていません。
このように考え進めていくと、ある人達にはプラスと受けとられる物事でも、別の場合にはマイナスに受けとられる。
個々の事情というものがあり、1つのシステムですべての人達が満足する事はむずかしい。
そういう事ではないだろうかと考えられます。
つまり、定期移籍は、方向性は根本的には間違っていないし、必要なものなのですが、それだけでは十分ではない。という事です。
たとえば、木材から椅子を作るに、ノコギリだけでなくカンナやヤスリも必要です。
ノコギリ無くして椅子はできませんが、ノコギリだけで仕上げてしまうと、痛くて座れないというのと似たような事かもしれません。

定期移籍と臨時移籍

ここで設置した臨時移籍というシステムは、定期移籍ではカバーしきれない事をカバーする領域です。
定期移籍の補完をできないか。定期移籍への提案をできないか。を試みるのが、臨時移籍の意義だと考えてもらえればと思います。
臨時移籍担当の試みがうまく回れば、やり方が、定期移籍担当によって、定期移籍に取りいれるかもしれません。
そうすれば、定期移籍がよりきめ細かなものになって、臨時移籍の存在意義は徐々に薄れ、いらなくなってしまうかもしれません。
仮にそうであっても、臨時移籍の目的は満たされる。その様に考えてもらっても良いと思います。

強いという事

あしかけ5年にわたってサイトを運営していて感じたのは、最後に勝つのは、島が強いのではなく、心が強い人だ。という事でした。
確かに島そのものが強ければ、一時的に隆盛を極める様に思われます。
しかし、波に乗っている間は、いかにも頼もしそうに見えても、いざ逆境に接した途端、悲壮感たっぷりにやめていく人だっています。
戦争ゲームを本質的に理解しないままにゲームをはじめた。すなわち、自分がどん底に落ちる事態を想定せずに、すべてを積み上げていた。
そういう事なのかもしれません。ですから、これは相性や好き嫌いの問題なのかもしれません。
あるいは、もとから、時間が無くてやめると決めていて、最後に一華咲かせるつもりだったのかもしれません。
つまり、去就の真の理由というのは本人以外の誰にもわかりません。こういう事は個人の事情なので、決して責める考えをもってはいけません。
ただ、こういう事を考えていくと、最近チャット等で、「カリスマ化」しつつある歴戦の島主達には、ある共通したものがある様に見受けられます。
島や技術といった表面的なものだけではなく、負けても不死鳥のごとくよみがえる、「心」という真の強さを秘めている。
そういうものに、皆がどこかであこがれているのではないか。そう感じる事があります。

底辺に落ちる事での開花

ところで、爆撃を受けると、海上防衛施設は経験値が上がり、防衛数が増え、結果、島が打たれ強くなります。
しかし、本当に強くなるのは、向こう側にいる人間の心ではないかと思う時があります。一皮むける絶好の機会とでもいいましょうか。
たとえば、旧バージョンで、ある島主は当時トップを極めていたのが、集中攻撃を受けて、開発期間に落とされ、クリスタルもすべて奪われてしまいました。
ところがその島主は、開発期間に落ちた直後に、感傷にひたる間もなく、今度は自分の島を端寄せにつくり変え始めました。
それまではその島をたいして評価はしていなかったのですが、これを見た時、真の強さというものは、どこにあるものだろうと言う事を、考えさせられた気がしました。
また、そういう、「ひどい目に遭う」「負ける」という経験こそが、その島主が新たな強さを獲得した瞬間ではないかとも考えたものです。

人材の使い捨てではないか

ところが、残念ながら、現在の設定は、一度底辺に落ちてしまうと、そう簡単には這いあがれません。
特に、S海域は、全員が生き残りに必死なので、人口を失った見返りに戦訓を得たとしても、再度その海域で、人口まで立ち直らせてくれるほど、甘くはありません。
まがりなりにもSまで行って、そしてそこで叩かれて残った島というのは、A海域のトップよりも、潜在的に「強い」と俺は考えています。
そういう「強い」人たちをいつまでも「塩漬け」にしてS海域の底辺に見せしめよろしく飾っておく事が、はたして、長い意味で、活性化につながるのだろうか。皆に勇気を与えるのだろうか。

人材の活用

サイトの財産とは何か。情報の蓄積されたページとかプログラムとかそういうものも財産の一つかもしれません。
ですが、もっとも大切なのは、それを常時生み出していく、そこで遊ぶ人達であろうと思います。
人の数とその層の厚さが、なによりのサイトの財産である。と考えています。
だとしたら、経験の豊富な人を、放棄に追い込んだり最初からやり直させるのは、サイトの活性化にとっては損失だろうと思います。
当サイトの設置趣旨は、「人と人との闘争」という事で目下考えております。
そういう意味では、闘争をする人を温存、育てる事もどこかで考えていく必要があります。

再チャレンジ奨励

S海域でボロボロになった島でも、B海域くらいに行けば、いくらでもやり直しはきくと思います。
銀の参加杯を持っていれば、Sから落ちてきた証拠です。
その素質や将来性を買われて、モチベーションの高い同盟から迎えいれられる事もあると思います。
そうやって新たなメンバーを集めたり友をつくって、新しい環境が訪れるわけです。
そこでまた新たにリベンジを期すもよし、一大方針転換をするもよし。
言葉は悪いですが、死に体のまま、Sで腐っているよりは、よほど海域全体の活性化の役に立つのではないか。とも思います。
上で負けた人達が、すぐに下で復活できれば、きっと水を得た魚のごとく、仲間を募り、導き、そしてまたよみがえり、挑戦が行われるのではないでしょうか。

運営としての精神

ゲームというのは、自分の自由意思で参加や非参加するものです。つまり自分が楽しくないとやり続けられないものです。
基本楽しいからこそ、そこで学び、ちょっと悔しい事でも耐えて、向上をしようという意欲が生まれるのだと思います。
Sで行き詰ったらやめればいい。最初からやり直させればいい。そういう「はい上がってこい」目線の考えは、頑張って上へ行ったプレイヤの立場でこそ成り立ちます。
ところが、古参プレイヤの考え方としてはそれで良いでしょうが、我々運営の考え方としてはどうでしょう。
精神は立派ですが、残念ながら、箱庭はもはや、それほどあまねく人を引き付けるほど真新しく魅力にあふれたものでは無いという事を理解すべきです。
もはやこの業界は「待ち」の姿勢では運営が成り立たないのです。
時代遅れの箱庭をあえて活性化させていくなら、運営は、「頑張ってもらうには」という「責め」に転換しないと、衰退してしまうのは、歴史が証明しています。
人を集めるために「人に甘くする」のは本末転倒かもしれませんが、「人を育てる」考えはこれから絶対に必要不可欠だろうと思います。
運営は、プレイヤに、常に、自分にあった、自分が必要とされる、そんな居場所の提供を忘れてはいけない。
長く遊んでもらえる、大きなサイトをつくるには、それが必要なのではないかと思います。

最後に

勝敗は時の運です。勝って上っていく人達のため、頂点の舞台を作るため、だけを考えるだけでなく、
運がなく、そこで負けてしまい、ふるい落とされた人も掬いあげ、再チャレンジしてもらえる配慮をする。
そんな移籍を追究していければと思います。


 

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