サピン共和国歴史資料館

このページはサピン共和国歴史資料課が製作しています。
サピンの歴史

無政府時代

当時、政府などの行政機関もない時代にmonoがmonoと言う島を作る。
monoは領土を増やし、農業に重きを置いて活動していた。
海軍などは皆無な状態で人々は国の貧しさと海軍の貧弱さを懸念していた。

サピン王国の誕生と転落

その後、monoは島に国を作る。その国こそが現在のサピン共和国の草分けなのである。
王の位にmonoが就任すると、国の発展を促すため採掘などに力を入れて資金源を確保しようとしていました。
また、海軍力も当時の第4海域で大国を除けば上位に入るほどに成長しました。
そのため、国力は安定し国民の70%が王族への信頼を寄せていました。
しかし、数年後に大臣などの王の側近の汚職が相次いで発覚・・・また、多大なる税金の引き上げなどが国民の主に下層階級の農民や陸軍などが議会及び官邸を占拠しクーデターを成功する。

王国から共和国へ

クーデターの成功により、軍部が主導権を握ろうとするが国民の激しい反発により軍は内政を行なえなくなってしまう。
そこで、上流階級の貴族が政治を行なうために議会を行なうように働きかけ議会が設置されると同時に2大政党が誕生する。
2大政党は社会労働党と国民民主党であり。それぞれ特徴がある。
社会労働党(党首Erich)は軍事力増強により平和を主張しているため国内では好戦的ではあるが環境問題などの諸問題を大きく改善する。~との公約しているため、環境事業に関わる中流階級の信頼が厚い。
国民民主党(党首Nicanor)は外交力に非常に長けていて他国との貿易にとても強くカリスマ性のある政党である。しかし、軍事破棄などを公言しているため、軍部の反発が激しいのも事実

国民民主党よ、栄光あれ!

第1回の国民議会選挙において国民の80%が国民民主党を支持し、党首のNicanorは財閥からの援助を後ろ盾に内政の改革を推進する。
インフラの整備や国内の自給率などに多大に貢献する。そのため、都市部で支持が多かったNicanorが地方でも支持を集めていった。
また、持ち前の外交力であーあ(国)との交流を活発化し諸外国とも軋轢が減って行った。
それを好機と確信したNicanorは「第4海域の治安を安定するべく我々の繁栄と永久な平和の為に」との一言であーあ(国)を始めとする諸外国4カ国と軍事同盟を結成し現在の第4海域防共同盟を設立する。
同盟結成の翌年の第4回国民選挙で国民の支持率は90%を超え、社会労働党の議席枠が極端に減少し野党との連立で10%と厳しい立場に追い込まれてしまった。
当時、誰もがこのまま平和な日常を送れることを望んで居た。しかし、第7回国民選挙である事件が出来てしまう。

揺れ動く国民民主党

第7回国民選挙の演説の為、党首直々にRe-no(リノー)地方のGrace meria(グレースメリア)での演説中にNicanorは凶弾に倒れてしまう。
意識の回復は絶望的と医師の宣告に国民は騒然とした。
当時のマスコミの見解はテロリストの犯行か?と報道されていたため国民もテロリストの犯行だと確信してしまう結果になる。
しかし、現在の信頼できる筋の情報によれば社会労働党の関与が疑われている。
そのため政府は更なるテロへの警戒を強め厳戒令を引きます。これが国民民主党の過ちの始まりでした。

過ちへの償い

党首Nicanorが不在のまま国を運営いたが、以前のようにカリスマを失った国民民主党には昔のような行動力が無かった。
そして、副大統領のmariaが一時的に職務を引き継ぐも彼女にNicanorのような判断力を備えていないのである。
国民はこのような国民民主党を目の当たりにし、不安が増大する。
この事を好機と考えた社会労働党のErichは国民へ新たなプロパガンダを大々的の放送し続けた。
やはり、自国の経営に不安を思った国民はErichのプロパガンダを見て新たな希望の光だと考え始め、第七回国民選挙で社会労働党が過半数以上の六割を取得し政権を握る。

春休みの戦い

就任後Erichはすぐさま軍備拡張し同盟と我が共和国の友好国との間で緊密な打ち合わせが行なわれた。
そして、「第4海域の海域安定の為に!!」との大義名分の名の下にフロンティア館へ宣戦布告をする。
しかし、国民民主党政権時代の友好国が相手の盟主とあるため戦争を回避しようと外交ルートで探っていたという。しかし、苦労も甲斐なく戦争への道を進んでしまった。
これが、春休みの戦いである。
この戦闘で軍は完全に消耗してしまったのである。海軍の7割が沈没と言う大敗をしてしまったのだ・・・
事実上、全体の春休みの戦いでは勝利したもののサピンのみの結果で見れば負けである。
焦土の一部が瓦礫と化し人々は苦しい生活を強いられていた国民はこの戦争を「不名誉な戦いだが、我が子や友人が不名誉な戦いで戦死したとは思いたくない。だから、我々は正義を貫いたのだと信じている。」と口を揃えていうのであった。

軍部の威信

春休みの戦いで軍部の弱さが露呈する形になり、国民は軍に対して懸念をし始める。
軍は国民から激しくバッシングされるようになってしまう。ある将校がこのように話す。「飲み屋に行っても酒は出してくれるが、周りの客の殺気が気になってしかたない。客が悪酔いして絡んで来た時は最悪だったよ。それほど国民に嫌われているんだ」と語っている。
それほどまでに軍の信頼はガタ落ちなのである。そのため、軍部は政府(社会労働党)に掛け合い、軍事演習を申し出る。そしてFederation Of Southern Cross?との軍事演習で自国の軍の強さを再度国民に見せつけようと計画する。
しかし、開戦の数日前から怪獣が異常発生し軍部は戦争の用意を出来ずに開戦へと流れていく。

軍と政府の不協和音

Federation Of Southern Cross?との戦闘が始まり、怪獣に苦戦していた軍部は空軍の量産に失敗してしまう。
当時、本土防空の任に就いていた張子の虎である本土防空艦隊9個中隊をFederation Of Southern Cross?へ派遣する。
そして、翌ターンには金剛級2隻を主力とする8隻で編成された第一派遣艦隊を派遣する。
そのため、我が共和国は残留艦隊を除く全ての戦力をFederation Of Southern Cross?へ送った。
軍部の考えとしては第一派遣艦隊を囮にし、本土防空艦隊で敵航空部隊を叩くと言う筋書きであった。
しかし、敵は2倍以上の航空戦力と防衛施設によって全滅させられてしまう。
本土には沿岸警備隊と言う戦力にならない艦隊しかおらず、ブリキ艦隊と言っても過言では無かった。
そこへ、敵の航空部隊が到着し貨客船から街の一部までが敵の攻撃に遭った。
敵の攻撃が街にも被害が及んだと社会労働党本部へ連絡が入る。
演習するさいに統括軍部指令長官Hamiltonは「我が国の士気を上げ、我が国の存在を確固たる物に」と言っていたため、政府は二つ返事でOKと答えた。
しかし、街に被害が及んだとなると話は変わる。国民は先の大戦で悲しみ・憎しみ、悪い地域では飢えとも戦って生きて居たのだ。そのため、政府は軍部へ演習中止を警告する。
だが、統括軍部指令長官Hamiltonはそれに応じず黙殺した。この時点でErichは軍をコントロールできなくなっていたのである。

軍部の暴走

政府は軍部に対して要求を聞き、出来る限り協力すると公言する。 そして統括軍部指令長官Hamiltonは現政府へ条件を突きつける。
その条件とは、1・現政府は現在野党である国民民主党への謝罪。2・現政権の解体。3・国王の身柄の開放 と言う3つの条件を軍部は政府にマスメディアを通して条件を提示した。
その当時、マスメディアは軍部が何故、政府にこのような条件を提示したのか?理解が出来ていなかった。
そのため、メディアでは国民民主党と軍部の癒着報道が連日なされてしまった。
しかし、真相はこうである。第7回国民選挙で国民民主党のをGrace meria(グレースメリア)で殺害しようとしたのは社会労働党の幹部であった。当時、軍部の陸軍第一特殊護衛師団のLance中佐がNicanorの護衛隊長であった。中佐はNicanorが凶弾に倒れた際に不審な点が多く再度調査をしていた。しかし、数日後に中佐の上官であるbarlet中将の元に政界から圧力がかかってきた。その際、伝令に書いていた送り主の名前が社会労働党党首Erichであった。そのため、軍部は社会労働党の犯行だと確信し、スパイなどを党内に送り込む。その後、スパイたちの情報を元に軍部は傍から見れば政府に従っているように動いていたが、この機会に軍部は決起したのである。
しかし、提示した条件は政府によって拒否される。

政府の決断と軍部の怒り

条件を拒否した3日後、政府が手を打ち始めた。
緊急議会で軍部内人事不信任案を野党の反対を押し切り与党(社会労働党)が可決し、軍部へ新たな人事が発表された。しかし、軍部は「そのような人事異動は承認しない」と政府に告げる。
社会労働党は怒りを覚え軍部とは別機構である、警察機構の対テロ対策チームSBTを統合軍司令部へ奇襲させる。
司令部が奇襲される可能性があると情報を受けていたHamiltonは防衛施設へ次のような伝令を下した。この伝令が我がサピン共和国とFederation Of Southern Cross?を震え上がられた。


宛 ミュラー地方防衛隊防衛施設長 Maller大佐

発 統合軍部指令部 barlet中将

貴官は××××ターンにミュラー地方エリア15区画防衛施設において自爆作業を開始せよ。
これは演習ではない。敵航空部隊に我が国の力を見せ付けるのだ。健闘を祈る。
               サピン共和国統合軍部指令長官Hamilton



爆破

SBTと警察機動隊が軍司令部への強行突入を試みるも試作機AH-64D(アパッチと言った方が皆さんはわかるかな?)の前に成す術もなく敗走することになる。この突入の現場をCSSの記者がカメラを回していたことから同胞同士の醜い争いが全世界に露呈することになる。
その直後、報復としてミュラー地方の爆破が発生する。
その際、Federation Of Southern Cross?の航空部隊2個中隊、サピン国籍の商船2隻、1都市壊滅と言う被害をもたらした。
この爆破の影響で国力が落ち政治的にも問題となった。軍部は間髪入れずに大和を配備しFederation Of Southern Cross?にも政府にも睨みを利かせる存在となった。


政府の苦悩

基地の爆破は全世界に戦慄を巻き起こした。
ニュースの報道では連日、爆破の中継や真相究明などをしている。
爆破当初、政府の説明はこのようなものだった。「Federation Of Southern Cross?国籍の航空機が防衛施設に誤って突っ込み、衝撃で自爆してしまった。」と報道されていた。
その放送を見たFederation Of Southern Cross?大使より、正式な抗議文章が来たのは言うまでもない。
一旦は、この報道で国民は政府の見解を鵜呑みにしたが、事態はこの後一変する。
軍の高官がマスコミに情報をリークしたのである。
そのため、国民は政府に対して怒りが募り始めてしまった。
連日、国民は官邸の前で座り込みやデモ行進などをしてストライキをしていた。
勿論、政府は警官隊を投入して鎮圧を計るがデモ隊を覆うようにして陸軍1個大隊が護衛しているため、手も足もでなかった。
翌日に政府は3つの条件を呑み、マスコミには社会労働党のNicanor暗殺未遂の犯人を公開し軍部と和解した。

新たな道へ

政府が謝罪したことにおいて軍部は高く評価するとの見解を発表した。
しかし、国民の怒りは完全に政府へ傾いてしまったのである。連日、党本部に抗議の電話が相次ぎ精神的にも限界に達する域であった。
国民をこれ以上の刺激を与えてはいけない。と判断したErichはすぐさまNicanor暗殺に関わった党幹部を解雇し、政府の新たな幕開けであることを国民へ投げかけた。
この時、国民はとても混乱していた。なぜなら政府が今までこのように弱腰な低い姿勢なことが無かったからだ。
国民は政府の発表を紳士に受け止める努力をしたが、我が国最大のスターであるNicanorを殺害しようとしたのは許しがたいと思う気持ちの中で揺れ動く国民達が多数いたのである。
Erichの謝罪会見での一言が国民の気持ちを動かしたのかもしれない。
「我が党は過ちを犯してしまった。人一倍に国を愛する気持ち、家族を愛する気持ちがこの党を間違った方向に連れて行ってしまったのでしょう。この過ちの償いは政府として必ずいたします。皆様は辛く、悲しいことも遭ったでしょう。しかしこれからは、全国民と我が政府で共に守るべき物を守り、愛すべきものを愛して、この国を過ちの無い国にしていきたい。皆様には多大なご迷惑を被りましたことを改めて謝罪いたします。」


小さな勇気

皆さんは、サピン共和国の王様の行方はご存知ですか??
ええ、この前に軟禁(監禁)されてるって言いましたよね?
この小さな勇気と言う章は番外編とお考えください。
長くなる上に番外編なので違うページに書き込みしました。
是非ご覧になってくださいね♪


貴方は・・・?

政府公式謝罪会見の翌日、Federation Of Southern Cross?との軍事演習を終了し対外的な行動も一段落出来た頃合である。
国民の政府への懸念は薄れることなく。支持率も先月より10ptも下がってしまっていた。
そして、国の行く末を決める第9回の国民選挙において野党である国民民主党が与党に返り咲き、社会労働党は衰退して行った。
社会労働党の残した負の遺産である。軍部との問題であるが、当初・・・和睦には時間がかかると予想していたが政権が国民民主党に変わったため、軍部との融和もスムーズに行なわれた。
第二代国民民主党党首mariaはこのように話す。「やっと、国民と我々政府が共に手を取ることが出来た。これから、我々は共に歩み、共に時を共有することになるだろう。国民の団結力を期待している」

小国の悲鳴

国の内政が1段落した頃、「 」FSCの戦争が始まる。我々としては他国の無縁の戦争と始めは決め込んでいたものの、FSCにクリスタルが渡るのは死活問題と政府が判断し、「 」へ強行武力偵察を行なう。しかし、大和を始めとする7隻の艦隊は全滅に追いやられてしまう。
この武力偵察により、世論が大きく動くことになる。
このような国がクリスタルを持つとどうなるか・・・?
国民にも容易に想像できたに違いない。
国民の支持を背景に空軍を大量生産し、再度「 」への防衛任務へ向かったのである。
「 」についたパイロット達は「 」の悲惨さに息を呑む・・・
大地は剥げ、戦車が街を駆逐し、軍はなぎ倒されていく・・・
派遣した後、FSCはこれ以上の戦闘は困難と判断したのか、「 」との和解に成功し終戦を迎える。
この瞬間、サピン共和国は歓喜に沸いたのである。

国土回復運動

以前の傷が癒えたとは言え、まだ完全な状態とは言えなかった。そのため、政府はテトラポットを周囲に配置し軍事力強化と要塞化を計画していた。国民も以前の春休みの戦いでの国土の焦土化を二度と見たくないとの意見が多数を占めていたため、政府は計画実施に踏み切った。
しかし、政府の計画した実施要綱だと時間が異常にかかるため、未だに完成していない。


第二海域編


国境なき世界

我がサピンが束ねる同盟であり、現在(5/23現在)で第二海域で上位に入る同盟である。

国境なき世界

我がサピンが束ねる同盟であり、現在(5/23現在)で第二海域で上位に入る同盟である。
政府は以前の第四海域防共同盟に関してこのようなコメントを残している。
「あぁ・・・あの同盟は素晴らしいものだった。しかし、防衛だけで果たして我々は生き抜いていけるのか??とても疑問だ」
このコメントにマスコミと国民は同じ感情を抱いた。そぅ・・・悪の根源から叩いてしまえばいいと・・・
そこで新たな同盟が設立された。世界に理不尽な戦いを無くし平和と言うなの理想的な世界を作る同盟が誕生したのである。
加盟国は以前の第四海域(第三海域)からの友好国がメインと身内同盟と言う評論家も多い。
この同盟により、今後の第二海域での立ち回りがどのように変化するのか期待が高まっている。

再びの再会

再びの再会

まだ、我が国が第四海域で小国だった頃、一国の指導者から色々な援助を頂いた。
当時、窮地に立たされていた我が国を救ってくれた一国に感謝していた。
しかし、海域移動があり彼は移籍してしまった。
長い月日が流れ、ようやく第二海域への海域移動を果たしたその海域に彼がいたのである。
以前の恩を返し、対等な役回りになれるよう。
この出来事は国民の1割も知らない事柄であろう。



最近更新がホントに不安定です。。。 仕事が片付き次第かきます!! ごめんなさいww